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白洲正子と歩く京都 (白洲 正子/牧山 桂子)

(注:本稿は、2014年に初投稿したものの再録です)

 タイトルを見ただけで、あの白洲正子さんが紹介する京都の風景とはどんなものだろうと、とても興味がそそられますね。

 実際、本のページを繰るたびに、白州さんが愛したお寺の数々が美しい写真とともに次々と現れます。そして、そこでは、彼女の著作からの一節を引いて、あるいはまた白洲さんを知る方々の言葉を借りて、白州さんを惹きつけたそのお寺の魅力が語られています。

 大覚寺、法金剛院、神護寺、高山寺、常照皇寺、月輪寺、笠置寺・・・。白洲さんは、それぞれのお寺の風情を味わい、また所蔵の仏像にも魅せられたのでした。

(p68より引用) 仏像に関する知識などまるでないので、ぼんやり眺めているだけでしたが、やはりほんとうに美しい仏さまは、ただ美しいというだけで、自然に拝みたくなりました。これは当たり前のことでしょう。(『私の古寺巡礼』「古寺を訪ねる心-はしがきにかえて」より抜粋)

 白洲さんは、幼いころ母の常子さんと毎年京都を訪れていたそうですが、京都・奈良はいまでも修学旅行の定番です。ただ、最近はお定まりのコースを観光バスで回るのではなく、少人数のグループで、自由に計画を立てて行動するようなパターンもかなり増えてきたようですね。

 白洲さんは、以前の集団行動的お仕着せパターンには、大いに閉口していたようです。それに似た経験が、幼いころ母に連れられたお寺巡りでした。そのころから白州さんは、自分で興味が湧かないものには全く目もくれなかったのでしょう。

(p71より引用) 実は私も子供のころ、お寺ばかり見せられてうんざりした覚えがある。それより海や山で遊び呆けた経験の方が、ずっと身についてためになったように思われる。大人になって、龍安寺の石庭に感動したのも、そこから子供のころに聞いた潮ざいの音がひびき、汐の香が匂って来たからだ。決して、禅の書物や、美術の解説書から得た知識ではない。(「思うこと ふたたび」より抜粋)

 さて、本書ですが、京都のお寺の他にも、白洲さんが愛した宿・食・道具の数々が紹介されています。どれも、心の底で通じ合ってとてもいいお付き合いをしているなあと感じ入るものばかりです。

 娘の牧山桂子さんをはじめ所縁の方々が語る白州さんの姿は、颯爽にしてスマート、とても魅力的ですね。



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