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野垂れ死に : ある講談社・雑誌編集者の回想 (元木 昌彦)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 少し前に後藤正治さん「拗ね者たらん 本田靖春 人と作品」を読みました。
 その中に本田さん所縁のひとりとして本書の著者元木昌彦さんも登場していて、そのお名前が記憶に残っていたので、いつも行く図書館の新着書の棚で目に留まったというわけです。

 「FRIDAY」編集長・「週刊現代」編集長を歴任の後フリーに転身した元木さんですが、本書は、自らの講談社時代のエピソードを取り上げ、そのときの心情や内幕を吐露した回想録です。

 当時元木氏と深く付き合った方々(多くは物故者)との思い出を紹介したくだりは劇画のようで、元木氏本人の生き様とともに、かなり強烈です。私なぞ、もちろんそういった能力も適性もありませんが、「雑誌の編集長」は絶対に務まらないですね。

 さて、本書を読んで印象に残ったエピソードはそれこそ山のようにありますが、特に、元木氏の “編集長という仕事への想い” を語ったくだりを書き留めておきます。

(p147より引用) 私が週刊誌編集長時代、「反権力」「週刊誌ジャーナリズムの可能性を追求した」などといわれたことがあるが、本人に全くその気はなかった。
 学生時代のほとんどをバーテンダー稼業に現を抜かし、大学紛争や早大学館闘争などとは無縁だった。
 だが、自分の中に、闘争に命を懸けて機動隊と渡り合って殺されたり、退学せざるを得なくなった人間たちに対する「うしろめたさ」があったのはたしかだった。
 志半ばにして倒れていった彼らの「遺志」を継いでやらねば、という思いが、編集者になってからずっとあった。
 ノンフィクション・ライターの本田靖春から、「戦後民主主義」の素晴らしさを教えてもらったことも影響しているはずだ。

 と、こちらでも、本田靖春さんが登場しています。

 そして、本書の「あとがき」にも。

(p261より引用) 片目を失明して、片方もほとんど視力を失い、壊疽のために両脚を切断するという過酷な闘病生活をしながら、2000年から月刊現代に『拗ね者』の連載を始めた。
 本田さんが万年筆を手に縛りつけ、一字一字、石に刻むようにして書き遺した連載の最後の言葉は、講談社の編集者たちへの感謝であった。
 「それがなかったら、私は疑いもなく尾羽打ち枯らしたキリギリスになって、いまごろホームレスにでも転落して、野垂れ死にしていたであろう。これは誇張でも何でもない」
 2004年2月4日、享年71。

 元木氏が本書のタイトルを「野垂れ死に」とした瞬間でした。



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