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日本型組織の病を考える (村木 厚子)

(注:本稿は、2020年に初投稿したものの再録です。)

 検察による冤罪事件の被害者たる元厚生労働事務次官村木厚子さんの著作です。

 以前、podcastで村木さんの穏やかながらも理路整然としたお話ぶりを聞き、一度その著作を読んでみたいと思っていました。

 期待どおり、「まえがき」からいきなり印象的な言葉が飛び込んできました。
 村木さんは、自らが37年間従事していいた「官僚」「国民の願いやニーズを制度に変える翻訳者」と “意味づけ” ていらっしゃいました。なるほど!
 また、国としての変革スピードを加速させる方法として、村木さんはこう語っています。

(p6より引用) 先が読めない、変化が速い時に、一人のリーダーに変革をゆだねるのはリスクが高すぎます。それなら、どうやってこの国の変革のスピードを加速できるのか。どのように組織を変えていくべきなのか。様々な仕事を経験する過程で私が重要だと感じたのは、組織の一人ひとりがあるべき方向性を主体的に考えることのできる組織を作ることです。それを「静かな改革」と呼んでくれた方もいます。そうした仕事の進め方の経験が、日本型組織の硬直化した部分を変えていくヒントになるならば、とてもうれしく思います。

 至極、納得ですね。
 このコメントに代表されるように、本書で示されている村木さんの指摘はとても素直に腹落ちできるものです。

 「第3章 日本型組織で不祥事がやまない理由」の章では、こういった指摘がされています。

(p99より引用) 自分たちが「ずれた」状況に陥っていないかどうかを点検するのに、いい言葉があります。
「必要悪」という言葉です。
冷静に見れば「悪」なのに、「これは仕方なかった」とか「このためにはこうする必要があった」など、自分たちの行為を正当化しようとする時に使われやすいこの言葉や考え方が出てきたら、要注意です。

 これも「なるほどそうだ」と思いますね。こういう “言い訳” 的な言葉はつい使ってしまいがちです。

 それから、キャリア官僚として入省してからの「お茶くみ」に係る村木さんの考え方。これも人柄が滲み出ます。

(p150より引用) お茶くみは断固拒否、そんなふうに闘えたらどんなにいいでしょう。でも、そうできない臆病な私としては、何か意に染まないことや、客観的に見ておかしいと思った時は、胸に抱えながら次のチャンスを待つしかありません。それでも完全に諦めたり、考えるのをやめてしまったりしなければ、いつかチャンスはやってきます。スマートとはいえなくても、時間をかけて乗り越えていく方法もあると思います。

 巻末の「解説」で読売新聞の猪熊律子さんが、“村木さん流の改革” をこうまとめてくれています。

(p228より引用) 当事者や、現場で活動をしている人の声をよく聞き、新しいアイデアを柔軟に取り入れながら、諦めずに、みんなと力を合わせながら活動を続ける。官僚時代に手がけた仕事にも見られた手法で、粘り強い活動がいつしか人々の意識を変え、制度をも変えていく。地道で、しなやかで、「静かな改革」とも呼べそうなこのやり方は、見方を変えれば、非常に現実的で、実践的で、合理的なやり方といえるだろう。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、村木さんの人柄そのもののような “邪心” を一切感じさせない近年では稀な著作だと思います。
 語り口も至って自然体で穏やかで、そこに開陳されている考え方そのものがとても “真っ当” なんですね。



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