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ニッポン・サバイバル ― 不確かな時代を生き抜く10のヒント (姜 尚中)

閉ざされた自由

 姜尚中氏の本は初めてです。
 本書は、集英社女性誌ポータルサイト(s-woman.net)に掲載した連載記事をもとに加筆修正したものとのことです。記述は平易で非常に読みやすく、著者の考えがストレートに記されています。

 内容は、

1.『お金』を持っている人が勝ちですか?
2.『自由』なのに息苦しいのはなぜですか?
3.『仕事』は私たちを幸せにしてくれますか?
4.どうしたらいい『友人関係』を作れますか?
5.激変する『メディア』にどう対処したらいい?
6.どうしたら『知性』を磨けますか?
7.なぜ今『反日』感情が高まっているの?
8.今なぜ世界中で『紛争』が起こっているのか?
9.どうしたら『平和』を守れますか?
10.どうしたら『幸せ』になれますか?

の10章で構成されていて、たとえば、第二章「『自由』なのに息苦しいのはなぜですか?」では、以下のような記述があります。

(p41より引用) ある学者によると、自由というのは、今そこにあるものだけでなくて、潜在能力(ケーパビリティ)がある社会こそが、真の意味での自由な社会だということです。
 どういうことかというと、今、自由はその選択はしていないけれど、将来の潜在的な可能性として、いくつかの選択肢を自由にチョイスできると、多くの人々が確信を持てる社会ということです。つまり選択の複線化が可能である社会ならば、それは潜在能力のある社会ということになります。
 ところが、そのケーパビリティが断たれている社会というのは、一見、自由のようであっても非常に息苦しい。なぜなら敗者復活戦が難しいから。

 現代社会全般に通じる指摘ですし、特に企業に当てはめると「メンタルヘルスの問題」につながるものです

 「自由な選択」のよさを活かすためには、社会の中に、チャレンジにつきものの「失敗」を許容する度量がなくてはなりません。
 「自由」を享受するチャンスがありながら、他方、「自由であるがゆえの」圧迫感や閉塞感を感じてしまうのは不幸です。

日常性の再生産

 第五章「激変する『メディア』にどう対処したらいい?」の章で、姜尚中氏は以下のようなアドバイスを贈っています。

(p110-111より引用) 昨日と同じように今日があるし、今日と同じように明日が続くだろうと信じられているわけです。これをテレビで確認するということです。つまりテレビというメディアは“日常性を再生産するボックス”なのです。
 しかしテレビが本質的にそういう保守的なメディアであるとするならば、テレビを見て日常性の構造を疑ってみる、という発想はなかなか生れてこないだろうし、またテレビによって、現状を変えていこうというインセンティブ(やる気や誘因)を作り出せるかというと、それも難しいと思います。
 だからこそ、やっぱり違う媒体、たとえば活字メディアのようなものが必要になってくるのだと思います。・・・複数のメディアとアクセスできる状況を自分自身で作っておくこと。それが今、メディアの受け手には必要とされているのではないでしょうか。

 メディアとしての「テレビ」の問題は、少し以前に話題になった情報番組の「捏造」に象徴的に表れています。そのときのケースは、番組提供者と受動的視聴者双方の無思慮・無分別な姿勢の合作です。

 他方、テレビ等のオールドメディアに代わり急激に人々のあいだに浸透しているのが「インターネット」です。インターネット上で新聞やテレビ等と同等の情報を入手することが可能になりつつあります。さらに、パーソナライズされたポータルやRSSの利用により、自分の興味・関心に応じた情報の選別・取得も容易になってきました。

 こういう状況についても、姜氏は課題を提起しています。

(p115より引用) インターネットは密閉化されたメディアですし、携帯電話などのように、これほど個別化されたツールもない。自分の興味のあるニュースだけを各々が見ているうちに、ほかの人との共通の認識や問題意識がなくなってくるという危険性が高いと思います。

 逆説的ではありますが、自分の関心にかかわらずいろいろな情報が提供されるという意味で、テレビや新聞の存在価値が見直されるかもしれません。

体験した知性

 第六章「どうしたら『知性』を磨けますか?」の章での姜尚中氏の指摘です。

(p126より引用) “勉強する”ということは“考える”ことですから、非常に抽象的な作業です。ところが、この抽象性を伴う作業は、切実でリアルな体験に裏付けされていないと、とてももろいものになってしまうのです。・・・世の中には、生きているものが死んだり、また自分が生きるために、生き物を殺したり・・・ということがいっぱい起きているわけですが、そういう自然の摂理を学ぶには、実物教育しかないのではないかと思うのです。

 「勉強」の動機付けすなわち「知りたい」と思う衝動は、実物と接触したリアルな刺激が一番です。
 「どうして?」と不思議に思う気持ちは、バーチャルな世界からは生れません。バーチャルな世界はそもそも何が起こってもおかしくない非現実的な対象だからです。

 この章でのもう一つの指摘は、「知性の本質」についてです。
 姜氏は「パブリックな価値について目利きする能力や感受性」が本当の知性だといいます

(p136より引用) 人間が生きていく中で、共に価値を見出そうとするもの-いわゆる“公”とか“パブリック”といわれる事柄について、何が大切なのか、ということなのです。そしてそれを目利きして判断をする能力こそが、知性なのだと思うようになりました。

 そういう感性を育てる方法のひとつとして、姜氏は「古典を読む」ことを薦めています。古典には時代を経て磨かれた先人の知恵が凝縮されています。しかし、そのまま受け売りするのでは価値は半減です。自分なりの考えを築くための「貴重なヒント」として活かさなくてはなりません。

 何事も「鵜呑み」にする姿勢は、「知性」とは相反するものです。


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