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トニオ・クレエゲル (トオマス・マン)

 言うまでもなく、パウル・トーマス・マン(Paul Thomas Mann 1875-1955)といえば、「魔の山」が代表作のドイツのノーベル賞作家です。
 ですが、恥ずかしながら、私は今まで彼の作品は読んだことがありませんでした。

 本書は1903年に発表されたものなので、マンの作品としては比較的初期のものになります。内容は、マン自身の少年から青年期の自画像とも言われています。

 こういった小説は滅多に読まないので、私自身の感性は衰えきっているのですが、その鈍感な感性に引っかかったくだりを、ひとつふたつ覚えとして書き留めておきます。

 まずは、物語の始めのあたり、トニオが少年時代の純粋な姿の描写です。

(p26より引用) この当時彼の心は生きていた。そこには憧憬があり、憂鬱な羨望があり、そしてごくわずかの軽侮と、それから溢れるばかりの貞潔な浄福とがあった。

 もうひとつ。こちらは物語りの終盤、トニオが作家としての名声を得た後の台詞です。

(pXXより引用) 芸術の中にまぎれこんだ俗人、・・・やましい良心を持った芸術家でした。なぜといって、僕の俗人的良心こそは、僕をしてあらゆる芸術生活、あらゆる異常性、あらゆる天才のなかに、あるはなはだ曖昧な、はなはだ怪しげな、はなはだ疑わしいものを見出させ、単純な誠実な、安易で尋常な、非天才的な紳士的なものに対する、あのおぼれ心地の偏愛で、僕の胸をいっぱいにするものなのですから。

 昨今は写真や映像を気軽に共有できるようになったので、風景を文字で表し言葉で伝える機会がめっきり減ってしまいました。描写能力は決定的に衰えていますし、語られた風景を復元する想像力も併せて劣化しています。
 今回はそういう思いを痛感しました。

 情景描写に止まらず、心情面もそうです。やはりこういった作家の思索的作品はなかなか受け止めにくいですね。もちろん、こちらにそれだけの文学的素養や精神的な深みがないことが原因です。
 「芸術家と市民、あるいは精神と生命の対立をテーマにしている」とのことですが、私の感性ではどうもそこまでの理解には到底至りません。

 ともかく、これに懲りず、時折りはこの手の作品に挑戦しましょう。



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