![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/85850266/rectangle_large_type_2_f5a9f1e2c08e116eb4ed914db4be956e.jpeg?width=800)
随筆 上方落語の四天王 ― 松鶴・米朝・文枝・春団治 (戸田 学)
私は落語が好きです。
特に上方落語は大好きです。一番の贔屓はなんと言っても二代目桂枝雀師匠ですが、本書で紹介されている「四天王」、彼らが現役バリバリの頃の高座は(テレビではありますが)よく見ていました。四者四様、それぞれの個性が光る流石の話芸でしたね。
本書では、落語にも造詣の深い作家戸田学さんが、その名人たちの芸の特徴や魅力を、それぞれの得意演目を材料に詳細に紹介していきます。
まずは、「第1章 米朝落語の考察」。
三代目桂米朝師匠は、端整な語り口で人気を博した上方落語界初の重要無形文化財保持者(人間国宝)です。滅びつつあった噺の発掘に尽力した研究熱心さでも有名な方です。
(p68より引用) 米朝落語は、譬えるならば楷書の芸である。折り目正しい。正攻法の語り口であるがゆえの無限に広がるイマジネーションの世界をもち、幅広い世代の観客に支持されたのである。これは、米朝独自の芸境であった。
私も米朝師匠の落語は大好きで、CD「桂米朝 上方落語大全集」も持っています。
やはり、絶品は「百年目」ですね。終盤の番頭を諭す大旦那の何ともいえない話しぶりは米朝師匠ならではです。「たちぎれ線香」も素晴らしいのですが、こちらはとても悲しい話でよほどのことがない限り聞き直しません。
続いて第二章で登場するのは、六代目笑福亭松鶴師匠。
だみ声とやんちゃそうな立ち居振る舞いで強烈な印象を残した名人です。
(p118より引用) 松鶴が亡くなって久しい。あるときに桂米朝がポツンといった。
「今、わしが大阪落語の本流みたいにいわれるけども、ホンマは松鶴なんや」
六代目笑福亭松鶴は、言葉といい、風格といい、存在自体が、大阪-それも古き佳き大阪そのものであった。
この米朝師匠の言葉にも頷かされます。垢抜けないくちゃくちゃな表情が懐かしいです。
三番手は五代目桂文枝師匠。
私の記憶にあるのは、小文枝当時の姿ですね。
(p125より引用) 少年の心をもった桂文枝である。文枝が演じる子ども-丁稚は非常に素晴らしく良かった。
大人びたこましゃくれた物言いの反面、ちょっとしたところで子どもらしさを露呈するようなあどけない姿の描写は、あの甲高い声と相俟って確かに絶品でした。
そして、トリは三代目桂春團治師匠。
「春團治」の名の印象とは異なり上品な語り口の名人です。
本書では巻末に、上方の四天王に加えて、古今亭志ん朝師匠を主人公にした小文が載せられています。
東京の落語家にしては珍しく、志ん朝師匠は大阪のお客さんにも受け入れられていました。それは、志ん朝師匠が心底大阪を愛していたからでした。その故のひとつが、六代目笑福亭松鶴師匠の存在だったそうです。
(p182より引用) 仁鶴やんもあたしもそうだけど、お互いに尊敬していた六代目(笑福亭松鶴)って師匠がいて、で、この人のことを思って、で、来てて、で、お客さんもそうやって聴いてくれるようになって、自分としては嬉しいですよ。
東京の落語家で近年の名人上手といえば、やはりこの三代目古今亭志ん朝師匠は外せません。志ん朝師匠のこざっぱりとした粋な芸、特にこの人の演じる「若旦那」は見事ですね。
最後に本書の印象ですが、とても丁寧にそれぞれの名人上手の芸を分析・説明してくれています。
著者は本当に「四天王」が大好きだったのだろうと思います。その私淑の想いが十分に感じられる内容でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?