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官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪 (牧野 洋)

(注:本稿は、2012年初投稿したものの再録です)

 昨年の福島原子力発電所の事故を待つまでもなく、近年「新聞」をはじめとする既存メディアに対する批判がとみに強まっています。

(p340より引用) 「放っておけば権力は秘密主義に走る」といわれており、都合の悪い情報は伏せられている可能性もある。「権力側の発表=真実」を前提に報道していては「ニュースの正確性」で失格だ。

 本書は、日本経済新聞の記者であった牧野洋氏によるメディア内部からの批判本です。

 たとえば、「リーク依存」の報道体質について、郵政不正事件を例にこうコメントしています。

(p65より引用) 「検察の捜査はおかしい」などと記事に書いたら、その時点て出入り禁止になり、他社に抜かれてしまいかねない。検察が気に入る記事を書いてこそ、リークしてもらえる可能性も高まる。現場の司法記者にしてみれば「他社に抜かれる」のが最悪の事態であり、そのためには検察のシナリオに沿って事件の構図を報じることにためらいはない。

 この「他社との先取り取材競争」ですが、これもマスコミの中に閉じた特殊な価値観が反映されたもののように思います。
 多くの読者が新聞に期待するのは、数時間を争う即時性・速報性ではなく、多面的な取材やより掘りされた解説といった類の充実した記事内容です。

 著者は、日経新聞の記者時代にコロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールへの留学を経験しています。そこで、報道に対する日米の考え方の大きな隔たりを身をもって知りました。
 その中で、最も顕著な違いのひとつが「取材者の目線」でした。

(p184より引用) Jスクールに在学していた私は、「政府ではなく納税者」「大企業ではなく消費者」「経営者ではなく労働者」「政治家ではなく有権者」の目線で取材するよう教え込まれた。・・・
 それまで日本では「権力に食い込むことこそ記者の王道」と指導されてきた。記者クラブの構造を見れば、それも当然である。

 この日米の違いは著者にとって衝撃的だったと言います。

 政府・大企業等権威側からのプレスリリースのみを材料にした記事は、アメリカでは間違いなく「ボツ」になります。影響を受ける市民・消費者への直接取材による声・反応も伝えてこそ、その記事は、「読者に供する判断材料としての価値をもつ」との考えです。

 さて、本書を読んでの感想です。

 冒頭「メディア内部からの批判本」と書きましたが、実際は、著者の経験に基づいたアメリカの「ウォッチドッグジャーナリズム」の紹介といった内容が主になっています。
 「何もしなければ永久に闇に葬り去られてしまうニュースを掘り起こし社会的弱者を守る」というピュリツァーの精神に代表されるアメリカの調査報道スタイル。
 それに対して、日本は、特落ちを極端に嫌う「発表先取り」への偏重。そして、それが結果的には「権力追随」に陥ってしまうという現実。著者が批判する日本スタイルのより具体的な姿、そうならざるを得ない真の要因等・・・、タイトルのインパクトに比べて深堀りは今一歩です。

 正直なところ、もう少し踏み込んだ「調査報道」的内容であればと、少々物足りない感じが残りました。



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