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永久保存版「知の巨人」立花隆のすべて (文春MOOK)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着書リストで見つけた本です。

 立花隆さんの著作は今までも何冊か読んでいるのですが、こういった体裁のムックでその偉大な足跡を辿っておくのも大いに意味があるだろうと思った次第です。

 まず、恥ずかしながら、本書で初めて読んだのが、「文藝春秋(1974年11月号)」に掲載された立花氏の代表作「田中角栄研究―その金脈と人脈」でした。

 「タイトル」はそれこそこれでもかというぐらい耳にしていたのですが、実際全文に目を通してみると、正直、想像していた内容とはちょっと違っていました。もう少し関係者の暴露証言などを盛り込んだ “センセーショナルなスクープ的記事” だと思っていたのですが、稀代のスクープではあっても、煽情的なコンテンツはほとんど前面には出てきていないのです。
 角栄の金流に関わるありとあらゆる膨大な事実を地道に収集し、それらのパーツを緻密に組み上げることにより自らの仮説の検証を行い、結果、田中角栄の金権体質の全体像を顕在化させた “力業の精密レポート” なんですね。
 まさに、記事のタイトルどおり、ものの見事に「研究」です。

 この「田中角栄研究」に代表されるようなジャーナリストとしての道を歩み始める前、立花さんは小説や詩を本格的に書こうとしていた時期もあったそうです。

(p133より引用) 小説を書くとか、あるいは別の表現方法で何かをつくり出していくことへの関心より、むしろ向こう側にある見えないもののなかへ自分で入っていくことが面白くなった。そこにあるよく分からない存在そのものがずっと面白いと思うようになった。そういう感じです。

 大学を卒業、文藝春秋社に入社、そしてほどなく退社し、立花さんは “なし崩し的” にものを書く仕事に入っていきました。

 立花さんの活動や著作には、若者(大学生)に対し、自らの想いを伝えようと意図したものが結構あります。
 “正解信仰” の只中にいる東大生を前にした特別講義で、立花さんはこう語っています。

(p105より引用) 早めに知っておいてほしいのは、そもそもこの世のあらゆる問題の正解はひとつではない、ということです。というか、現実世界には、正解がひとつもない問題も膨大にあるということを知らなければなりません。・・・
 本当に重要な問題ほど、何が何だかよく分からないものなんですね。問題の本質が何かすら分からない。常に我々は“よく分からないもの”に取り囲まれている。だけどとにかく何とかしなければならないという切羽詰まった状況にある。・・・
 第一にやるべきことは、わけの分からなさの整理です。何が分からないのか、自分は何を知りたいのか、といったことを整理して書き出し、問題として設定してみる。問題設定、それがいちばん大事なことです。

 「失敗を恐れるな」とか「チャレンジせよ」といった威勢のいい掛け声ではなく、「考え方の王道」としてのこういう “実用主義的でロジカルなアドバイス” はとても貴重だと思います。

 あと、稀代の読書家たる立花氏からの「本との付き合い方」についてのメッセージ。

(p56より引用) 何を学ぶか。どの本を買うか。どの本をどこまで読むか。どこで読むのをやめるか。本とのつき合い方ひとつとっても決断の連続である。
 本は読みはじめるのも大切だが、この本はこれ以上読む必要がないと思ったらさっさとやめるのも大切である。
 本は無数にある。良書だけを精選しても、いかなる人間にも読み切れないほどある。人間が一生の間に本を読むのに費やすことができる時間はいくらもないのだから、読む必要がない本を無理して読むことくらいバカげたことはない。
 なぜか一度読みはじめた本は終りまで読まなければならないと思いこみ、途中でやめるのは恥だという強迫観念にとらわれている人がいるが、それは間違いである。 途中でこれ以上読む必要がないと判断できる本はいくらでもある。そういう本を無理して終りまで読むことくらいバカげたことはない。

 そのとおりなんでしょうが、どうも私は、余程のことがない限り一度読み始めた本を途中で止めることはありません。面白くなかったり理解できなかったりするのは、私の吸収力や許容力が至らないからだと思うんですね。
 そして、そういった力を強めるには、「読み続ける」という外からの “負荷” が必要なのだという盲信から抜け出せないでいるのです。

 “貧乏性” の私ですから、いかに立花さんのアドバイスを聞いたとしても、このスタイルは治りそうにありません。

 


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