エリートと教養 - ポストコロナの日本考 (村上 陽一郎)
(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)
いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
村上陽一郎氏単独の著作としては、かなり以前に「やりなおし教養講座」を読んで以来になります。
今から40年以上前になりますが、私が教養学部の学生だったころからすでに有名な先生でしたね。その村上氏が語る “教養” “リベラル・アーツ” 論だと聞くとちょっと気になります。
政治エリートや官僚の劣化、反知性主義の隆盛等で、日本社会の退潮傾向が日に日に顕著になってきている今日、“教養” をテーマにした村上氏の論考の中から私の興味を惹いたものをいくつか書き留めておきましょう。
まず、教養を形作る要素として「コミュニケーション能力」をあげる村上氏は、その能力を高める「自己の形成」についてこう語っています。
ここで語られたような相対的・シナジー的な営みができることが「教養がある」という要素のひとつなのでしょう。
そしてもうひとつ、「教養」という学問をテーマにした議論から。
“教養教育” を「専門の領域だけに視線を固定化してしまうことから抜け出すための教育」と位置づけるという考え方です。この主張には納得感がありますね。
さて最後に、本書を読み通しての感想です。
私が迂闊にも気づかなかったのかもしれませんが、村上氏は、本書で「教養とは〇〇である」といった端的な定義は示していません。
「政治」「コロナ禍」「エリート」「日本語」「音楽」「生命」といったそれこそ多様な切り口から “教養” が関わる場面を取り上げて、そこに現れた教養の在り様の一側面を自在に語り伝えているように思われました。
その点では、様々な “教養” の現出シーンをモチーフにした “村上流エッセイ” といった趣も感じられる不思議な著作でしたね。
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