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もう、きみには頼まない ― 石坂泰三の世界 (城山 三郎)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 「2013年本屋大賞」に百田尚樹さんの「海賊とよばれた男」が選ばれました。私も昨年読んだのですが、確かに気持ちの良い物語でしたね。一本芯の通った経営者の生き様はとても刺激的です。

 本書もそういうテイストの本として手に取ってみました。

 主人公は、第一生命・東芝の社長を歴任、その後長年にわたり経団連会長も務め“財界総理”との異名もとった石坂泰三氏です。
 石坂氏もやはり極め付けの“頑固者”でした。
 そういった石坂氏の「人となり」を垣間見ることのできるくだりをいくつかご紹介します。

 まずは、石坂氏の生き様が際立つシーンから。
 “頑固”“我儘”とも見える石坂氏ですが、その根底には自らの人生に向かう真摯が姿勢がありました。

(p18より引用) 漠然とした「生涯の一日」というより、誰の一日でもない「それがしの一日」。その一日一日を大切にしたい-。
 これもまた、石坂の痛切な思いであり、人生の指針であった。

 この信念がマッカーサー元帥に対しても「用があるなら、そっちが来ればいい」との態度をとらせたのでした。

 石坂氏は、戦前からの第一生命社長、戦後、吉田首相からの蔵相就任依頼を固辞しての東芝の社長職等を経て、齢70歳にして経団連会長に就任しました。
 経済運営における石坂氏の基本姿勢は、政治とは一線を画し、高度成長を背景とした自由主義経済論を基軸にしていました。

(p181より引用) 経団連は業界の利益団体ではない。総論賛成、各論反対は許さぬということだが、といって、統制色の出ることを嫌い、「命令や統制に類することをしてはいけない」と、内部を戒めた。・・・
 「経団連会長は欲望調整業だ」とも言い、調整はする。ただし、経済界全体としても、個々の業界、個々の企業にしても、あくまで自由で自主的でなければならない-こうした石坂の信念の下で、経団連そのものの性格も固まって行った。

 結局、石坂氏は経団連会長を4期、12年にわたり務めることになりましたが、さらに、80歳を前にして「日本万国博覧会協会会長」という要職も引き受けました。誰も就きたがらなかった激務、この失敗は許されない国家的大事業を成功させるために石坂氏は最後の力を振り絞ったのです。

 しばしば衝突したマスコミや官僚に対しての石坂氏の態度にも、何としてでも完遂させたいという狂おしいまでの気概を感じることができます。

(p267より引用) 石坂がいまひとつ、頭を低くしたのは、関係官公庁の役人に対してである。万博は本来、政府の事業。石坂が頼まれて苦労を重ねているというのに。
 その理不尽さに腹の煮え返る思いをこらえ、万博成功のために、「あの人に頭を下げたんじゃない。あの椅子に頭を下げたんだ」
と、つい、ぼやくこともあった。

 終生、「それがしの一日」、その一日一日を大切にした石坂氏でした。

(p321より引用) 「とにかく、石坂さんという人は、近くにいるだけで人を熱くさせる非常にボルテージの高い人であった」

 東芝・経団連で石坂氏の後を辿った土光敏夫氏の言葉です。



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