世界を制した「日本的技術発想」 (志村 幸雄)
日本の技
とかく独創性に欠けると揶揄されている「日本技術」について、その特徴や位置づけ・評価を、歴史や文化の観点も踏まえ論じた本です。
(p6より引用) 「技術」とは、いうなればアイデアや着想を「もの」に転換する方法論である。
著者の志村幸雄氏は、その論考を通じて、日本ならではの「発想のオリジナリティ」を認めています。日本が得意としているところは、「科学」と「技術」をつなぐフェーズで現れます。
著者は「科学」と「技術」との関係性について、次のように語っています。
(p56より引用) 第二次大戦後の技術革新の最大の特徴は、「科学」と「技術」の間の垣根が低くなったことである。・・・両者の間には「科学的な知識をもとに技術が成立する」という因果関係があり、この関係は「リニアモデル」と呼ばれている。だが、戦後の技術革新が進むなかで、「科学」と「技術」相互の発展要因が複雑にからみ合い、また両者間の距離が急速に接近するにつれて、両者の関係が必ずしもリニアモデルのとおりではなくなってきた。
こういった「科学」と「技術」との関係は、「基礎研究」と「応用開発」との関係にも投射されます。
(p50より引用) 「死の谷」問題は日本の研究開発プロセスにも存在していて、商品化や事業化の阻害要因になっている。しかし、・・・わが国では「日本的技術発想」というべき独自のアプローチでこの問題に対処し、基礎研究と応用開発との間に欧米諸国よりはるかに効率的な関係をつくり出している。
そのアプローチの典型が、「応用目的」主導で進められる研究開発である。
「基礎研究」から「応用開発」というリニアな方向だけにこだわらず、日本においては、「応用開発」が「基礎開発」を触発するという実用本位の発想が見られるのです。
「実用」重視の考え方は、製品・商品として形にすることにこだわります。
(p63より引用) ものづくりの三要素といえば、事物の定義・定理の基本となる「科学」、設計の概念を提供する「技術」、そして実際の制作の手段・手法としての「技能」がある。そして日本人のものづくり能力は、「技能」という観点から評価されることが多い。
「技能」なくしては、「科学」も「技術」も実世界に役立つものとはならないのです。
育ての親
本書の中で、著者はいくつもの「日本的技術」の特徴を指摘しています。
ひとつには、日本企業のもつ「製品化への執着」の姿勢です。
(p51より引用) 日本企業は、欧米の発明企業が道半ばにしてあきらめたり、放棄したりしていた研究テーマを、明確な目的意識と強烈な意思決定力で製品技術に育て上げ、産業化に結びつけている。
この具体的な例としては、SHARPによる「液晶表示技術」やSONYによる「CCD(電荷結合素子)」等があるそうです。
また、「民生主導の技術開発」も日本ならではです。
米国の先端技術開発は軍需主導でした。
「富国強兵」が叫ばれた明治以降第二次世界大戦までは、日本でも軍用の技術開発が盛んでした。軍需となると、身近な使いやすさやコストダウンといった観点が欠落してしまいます。
戦後、日本は、消費者を相手にした競争市場の中で民生技術を磨いていきました。
(p151より引用) 日本の製造業の強さの根源は、ソニーの例が示すように民生技術に集中し、軍需主導の技術開発では達成不可能な新技術・新製品を実現してきたことにある。
著者は、江戸時代末に来航したペリー提督が、日本人の技術力の高さに感銘し、「将来の発明大国」と予言していたことを紹介しています。
(p40より引用) 日本の手工業者は世界に於ける如何なる手工業者にも劣らず練達であつて、人民の発明力をもつと自由に発達させるならば日本人は最も成功してゐる工業国民に何時までも劣つてはゐないことだらう「ペルリ提督日本遠征記」
現在の日本を考えるとき、「ペリーの予言」が的中したと言えるのか。それは、「技術開発」の位置づけによって評価は分かれます。
(p125より引用) 科学技術の世界では、新原理や新機構の発明・発見につながる「生みの親」の役割が大きく評価され、「育ての親」による応用研究や製品開発は副次的な成果として軽く見られがちである。・・・
しかし、科学技術のめざすところが人類の生活・福祉の向上や産業社会の発展にあるとすれば、市場化や産業化に直接つながるこの「川下型」の技術開発の役割は大きく、この分野で比較優位に立つことはきわめて重要である。その限りでは、むしろ「生みの親」よりも「育ての親」なのだ。もちろん、その成果は「模倣」とは異質のものである。
著者は、「日本的技術発想」にもとづく日本の技術開発の潜在力の大きさを高く評価しています。
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