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粗にして野だが卑ではない―石田禮助の生涯 (城山 三郎)

 今年は年初に、読書のジャンルとして「小説」のボリュームを増やそうと決めたので、その第二弾として読んでみたものです。(ちなみに第一弾は、井上靖氏の「おろしや国酔夢譚」でした)

 城山三郎氏の作品は、今までも「官僚たちの夏」「毎日が日曜日」等何冊かは読んでいます。今回の作品の主人公は、石田禮助。実在の人物ですから、小説というよりは城山流偉人伝という趣きです。

 石田氏は、西伊豆の松崎の生まれ。東京高商(現一橋大学)を卒業後三井物産に就職、35年間在職の大半は海外勤務でした。その後昭和38年、当時の池田首相に請われ財界人から初めて国鉄総裁になりました。その時、齢78歳。

 石田氏が少年時代を過ごした松崎は伊豆の港町です。石田少年は毎日海と向い合っていました。

(p42より引用) 海を壁と見るか、広い道と見るか、そこで人生の貌もまた変わってくる。
 多少の危険があっても、海の外へ-それは、松崎の少年の胸に点る思いであったはずである。

 三井物産での長期にわたる海外勤務は、生来アグレッシブな性格だった石田氏には相応しかったようです。特に30歳代、シアトルでの勤務は、石田氏に徹底した合理的思考と公共的精神を植えつけました。

(p61より引用) 政府にたのまれたり、社会事業に手を貸したり。公職として給与が出ても、形式的に1ドル受けとるだけ。「ワンダラー・マン」と呼ばれるそういう男たちが居ることが、石田には強い印象になって残った。

 昭和16年、代表取締役を経て三井物産を退社、戦後は国府津にて晴耕雨読の日々を過ごします。その後、第5代国鉄総裁として、正に「粗にして野だが卑ではない」というタイトルどおりの人生を歩んだのです。

 昭和44年、国鉄総裁を辞する時の新聞記者の石田氏評です。

(p214より引用) 「閥をつくらぬし、あんなに尊敬できる人はいない。総裁を天職と信じ、生き方に自信があった。人間のスケールがちがっていた」

 本書の表紙は、国府津駅での石田氏の写真です。帽子に蝶ネクタイ、見るからに頑固一徹、厳とした老紳士の姿がそこにあります。



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