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ローマから日本が見える (塩野 七生)

ローマの懐

 塩野七生氏の本は、昨年読んだ「マキアヴェッリ語録」以来です。
 塩野氏は、この本で、王政から共和政を経て帝政に至るローマの歴史を、その時代時代の代表的人物を紹介しつつ辿っていきます。

 その中で塩野氏は、「同化」というコンセプトを切り出します。この「同化」が、政治体制は変化しつつもローマの生き方の底に流れる基本姿勢であると説くのです。

(p51より引用) 「敗者をも同化させる」生き方こそが、のちのローマ帝国を産み出す原点となったというわけなのです。

 ローマは、対立国との戦後処理で「敗者も受け入れる」姿勢を示しました。
 こういった同化政策は、外交政策に限らず内政においても登場します。紀元前4世紀、ケルト・ショックからの回復にあたっての元老院改革では、ローマは、平民を貴族に同化させる道を選びました。

(p112より引用) 元老院議員をはじめとする国家の要職すべてを平民出身者にも開放することで、貴族と平民という階級の違いは事実上、意味を持たなくなった。
 能力と実績があれば、元老院議員にもなれるということは、見方を変えれば、平民をエリート階級に取り込むことに他なりません。・・・
 ・・・どの社会でもかならず起こると言ってよい階級対立を、こうした「取り込み方式」で解消しようとしたのはローマ人のみでした。・・・階級対立の解消は単に国家分裂の危機を防いだばかりか、かえってローマを強くするという結果につながったのです。

 ローマの歴史家・伝記作家のプルタルコスもこう語っています。

(p121より引用) 歴史家プルタルコスは、ローマが他を圧して大になった理由を次の一言に要約しました。
「敗者さえも自分たちに同化させる彼らのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」

 かのカエサルも、この「ローマ古来のやり方」を踏襲しました。地中海をも内海とする巨大な版図をもつに至ったローマは、従来の中央集権的統治方法ではもはや対応しきれなくなったのです。
 そこで大胆な「同化策」に踏み切ったのは、カエサルの抜きん出た慧眼というべきです。

(p221より引用) カエサルはガリアを征服はしましたが、だからといってガリアを征服し支配し搾取する地とは考えなかった。たとえ民族や文化や風習が違っていても、ひとたびローマの覇権下に入れば、そこはもう国家ローマになる。このやり方こそが結局はローマに利益をもたらす最良の方法だと知っていたのです。

 「敗者との同化」に加え、ローマには、もうひとつの懐の広さがあります。

(p118より引用) 「組織のローマ」を語る際に欠かせないもうひとつのことは、ローマではたとえ戦闘で敗れた場合でも敗軍の将を罰しなかったということです。
 ・・・というのは、そもそもローマ人の観念からすれば、敗将を解任したり、あるいは処罰したりする必要など、最初から考える必要もなかったからです。・・・すでに彼は、敗将となった時点で、恥という罰を与えられているのですから。

 敗者の同化策も「敗者を信じる」という信念に基づくものですが、この必罰の否定も「失敗した者を信じる」という姿勢の表れです。

ローマ、長寿の秘訣

 ローマは、紀元前8世紀初代ローマ王ロムルスの建国から紀元後5世紀の西ローマ帝国滅亡まで、統治形態を変えつつも長期にわたりヨーロッパの主要国であり続けました。
 その間、幾多の敗北がありました。

(p31より引用) 勝者はけっして最初から勝者であったのではない。無数の敗北や失敗を乗り越えてきたからこそ、彼らは勝ち残れた・・・

 塩野氏によると、ローマの長寿の秘訣は政策決定の柔軟性にあったと言います。

(p289より引用) 国家に限らず、どのような組織であれ、前任者が定めた方針を廃棄するのはむずかしい。ましてや、その前任者が創業者であれば、なおさらのことです。
 ところがティベリウスは、「神君」アウグストゥスの政策でさえも、思い切りよく転換した。こうした軌道修正がしばしば行なわれたところに、ローマ帝国が長続きした理由があると私は考えるのです。

 ローマの場合、改革の対象はしばしば「元老院」でした。
 元老院は、しばしば旧弊を脱せず機能不全を起こしました。

(p174より引用) 内向きのメンタリティと、強烈な自負心が複合してしまえば、そこに生れるのは現状維持の発想でしかありません。

 そうは言っても共和政の肝は、やはり元老院です。さらに根源的には、“政治を司る人材”です。有能な人材は貴族のみから輩出されるわけではありません。

(p108より引用) ローマ人の政治改革は、元老院という“聖域”にも大胆に踏み込むことになりました。
 それまでローマの元老院は、まさに貴族たちの牙城とも言うべきものでした。・・・
 その元老院の議席を、重要な公職に就いた経験のある者であれば平民にも与えて、「新たに加わった者たち」として迎えることとしたのです。・・・
 この元老院改革によって、ローマは真の意味での「寡頭政体」へと移行したと言えるでしょう。・・・
 ・・・貴族のみならず平民からも広く人材を募ってこそ、はじめて元老院は「人材のプール」としての機能を果たせるようになるからです。・・・
 共和政のカギはやはり、元老院にあるのです。

 ただ、そういう幾多の改革も、成功に導くための深謀遠慮がありました。改革は新手の手段のみではないのです。

(p295より引用) ともすれば改革とは、古きを否定し、新しきを打ち立てることだと思われがちですが、けっしてそうではない。
 成功した改革とは、自分たちの現在の姿を見つめ直し、その中で有効なものを取り出していき、それが最大限の効果を上げるよう再構築していく作業なのではないか。ローマの歴史を見ていると、そう思わざるをえないのです。

 カエサルの言葉として1500年ぶりにマキアヴェッリが発掘した名言です。

(p296より引用) 「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」

 かつての改革が今となっては悪癖となる、これは多くの場合、その政策自体の問題ではなく、その政策が時代を経ることにより内部環境・外部環境との間にズレが発生したことによります。
 したがって、それを是正するためには、当然ですが、単純に過去の政策の逆をやればいいということにはなりません。現在の環境等諸条件の見極めが重要になります。

(p298より引用) 古い統治システムを全否定してしまうのでは、かえって問題の本質が分からなくなる。
 大切なのはまず自分たちが置かれている状況を正確に把握した上で、次に現在のシステムのどこが現状に適合しなくなっているのかを見る。そうしていく中ではじめて「捨てるべきカード」と「残すべきカード」が見えてくるのではないかと、私は考えるのです。

 継続する地盤があるゆえに、新たな建物が建てられるのです。
 ローマは、王政・共和政・帝政と変遷しましたが、その基には常に「ローマ市民」がいたのです。


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