マキアヴェッリ語録 (塩野 七生)
やはり、「手段を選ばず・・・」
塩野七生さんの本は、妻が好きで家には「ローマ人の物語」をはじめ何冊もあるのですが、私は初めてです。
以前、「君主論」を読んだとき、このBlogで「君主論≠マキアヴェリズム」の話題をとりあげました。「目的のためには手段を選ばず」という直接的な言い方は「君主論」には見られないという内容です。
この本で塩野さんによる「君主論」からの抜粋で、「目的のためには手段を選ばず」というニュアンスに近いのは、以下の一節でしょう。
(p65より引用) 君主たる者、新たに君主になった者はことさらだが、国を守りきるためには、徳をまっとうできるなどまれだということを、頭にたたきこんでおく必要がある。
国を守るためには、信義にはずれる行為でもやらねばならない場合もあるし、慈悲の心も捨てねばならないこともある。人間性をわきに寄せ、信心深さも忘れる必要が迫られる場合が多いものだ。・・・
君主の最も心すべきことは、良き状態での国家の維持である。それに成功しさえすれば、彼のとった手段は誰からも立派なものと考えられ、賞讃されることになるであろう。〔君主論〕
「手段を選ばず」という趣旨でより直接的な表現は、マキアヴェッリの著作では「政略論」に多く見られるようです。
たとえば、以下のようなフレーズです。
(p98より引用) この種の大任を負う一個人は、私利私欲よりも公共の利益を優先し、自らの子孫のことなど考えない人物であるべきで、そういう人物こそ根本的な改革もなしうるのだから、そのために必要な全権力を獲得するよう努めてほしいものである。
そして、この種の目的のためにいかなる非常手段が用いられようと、非難さるべきではまったくない。
結果さえよければ、手段は常に正当化されるのである。〔政略論〕
(p101より引用) 君主たる者、もしも偉大なことを為したいと思うならば、人をたぶらかす技、つまり権謀術数を習得する必要がある。〔政略論〕
(p135より引用) 祖国の存亡がかかっているような場合は、いかなる手段もその目的にとって有効ならば正当化される。〔政略論〕
ただ、ここに、極めて重要で見逃すことのできない条件があります。「『私利私欲よりも公共の利益を優先』し、『根本的な改革』をなす目的のため」にはという条件です。「信頼」に対する「裏切り」ではないということです。
(p112より引用) 戦闘に際して敵を欺くことは、非難どころか、賞讃されてしかるべきことである。・・・
ただし、わたしは、次のことは言っておきたい。
すなわち、欺くことはよいことだと言っても、それは、信頼を裏切ることでも結ばれた条約を破ることでもないという一事である。
なぜなら、この種の破廉恥な行為は、たとえそれによって国土は征服できても、名誉までは征服できないからである。
だから、わたしの言っているのは、あなたとはもともと信頼関係にない相手に対しての、欺きについてである。つまり、戦時下のそれだ。〔政略論〕
「目的のためには手段を選ばず」という場合、その「目的」とは何かが問題です。
手段を選ばずが許されるのは、どんな手段を使ってでも果たさねばならない「絶対的な目的」のためのみです。
何をおいても達成すべき「目的」なのだという「絶対的な価値」が認められていることが大前提です。
マキアヴェッリと孫子
マキアヴェッリの「政略論」や「戦略論」で説かれている内容は、「孫子」につながるところが多く見られます。
たとえば、孫子の有名な「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」という一節。
これと同じことをマキアヴェッリはこう伝えています。
(p110より引用) 自軍の力と敵の力を、ともに冷静に把握している指揮官ならば、負けることはまずない。〔戦略論〕
マキアヴェッリは、「孫子」に匹敵する兵法家でもあったようです。兵站の重要性も指摘していますし、指揮官についての箴言も見られます。
(p117より引用) 一軍の指揮官は、一人であるべきである。
指揮権が複数の人間に分散しているほど、有害なことはない。
ゆえに、わたしは断言する。
同じ権限を与えて派遣するにしても、二人の優れた人物を派遣するよりも、一人の凡人を派遣したほうが、はるかに有益である、と。〔政略論〕
以下のような「現状認識」や「厳しい人間観」も一流の兵法家たる所以です。
(p184より引用) サルスティウスが、その著書の中でユリウス・カエサルに語らせている次の言葉は、まったくの真実である。
「どんなに悪い事例とされていることでも、それがはじめられたそもそものきっかけは立派なものであった。」〔政略論〕
(p202より引用) 次の二つのことは、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
第二は、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。〔政略論〕
ビジネス・ノウハウ by マキアヴェッリ
この本で紹介されている数々のマキアヴェッリの言葉は、現代のビジネス書に見られるアドバイスに通じるところがあります。
たとえば、「成功体験が、時代の変化への対応を鈍らせる」という点については、以下の一節があります。
(p121より引用) 時代の流れを察知し、それに合うよう脱皮できる能力をもつ人間は、きわめてまれな存在であるのも事実だ。
その理由は、次の二つにあると思う。
第一は、人は、生来の性格に逆らうようなことは、なかなかできないものである、という理由。
第二は、それまでずっとあるやり方で上手くいってきた人に、それとはちがうやり方がこれからは適策だと納得させるのは、至難の業であるという理由。
こうして、時代はどんどん移り変っていくのに、人間のやり方は以前と同じ、という結果になるのである。〔政略論〕
また、「優柔不断」については、こんな感じです。
(p172より引用) 弱体な国家は、常に優柔不断である。
そして決断に手間どることは、これまた常に有害である。・・・
決断力に欠ける人々が、いかにまじめに協議しようとも、そこから出てくる結論は、常にあいまいで、それゆえ常に役立たないものである。
また、優柔不断さに劣らず、長時間の討議の末の遅すぎる結論も、同じく有害であることに変りない。〔政略論〕
どこかの会社でも見られる「会議風景」を思い出させます。
さらに、よく言われる「リスクの前兆を捉えた先取りアクション」については、むしろ、以下のような現実的対応を薦めています。
(p99より引用) 危険というものは、それがいまだ芽であるうちに正確に実体を把握することは、言うはやさしいが、行うとなると大変にむずかしいということである。
それゆえはじめのうちは、あわてて対策に走るよりもじっくりと時間かせぎをするほうをすすめたい。
なぜなら、時間かせぎをしているうちに、もしかしたら自然に消滅するかもしれないし、でなければ少なくとも、危険の増大をずっと後に引きのばすことは、可能かもしれないからである。〔政略論〕
しかし、そういった選択肢をとる場合の「大事な条件」もきちんと指摘しています。リーダーたるものの役割です。漫然として見過ごすのではありません。すわという時すぐに動くための気構えは欠かせません。
(p99より引用) いずれの場合でも、君主ははっきりと眼を見開いている必要がある。
情勢分析を誤ってはならないし、対策の選択を誤ることも許されないし、対策実施のときも誤ってはならないのだ。〔政略論〕
最後に、これもビジネス書に付き物の「チャレンジのすすめ」です。
(p231より引用) きみには、次のことしか言えない。
ボッカッチョが『デカメロン』の中で言っているように、
「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」
という一句だ。〔手紙〕
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