一日一言―人類の知恵 (桑原 武夫)
科学の精神
編者の桑原武夫氏(1904~88)は福井県生れ、フランス文学者でありまた評論家でもありました。「はしがき」によると、本書に採録されている数々の言葉は、桑原氏の長年の読書の蓄えだそうです。
多くの箴言の中から、「科学」に関するものをご紹介します。
まずは、明治初期日本に招かれたドイツ人医師ベルツの「日記」より、和魂洋才への疑義の言葉です。
この態度は、自然科学に限ったものではなく、広く人文科学も含め共通に指摘される明治初期の問題点です。
次は、民本主義の提唱者、大正期の政治学者吉野作造の言葉です。「学生に対する希望」の中で、真理探究に向かう謙虚で柔軟な姿勢について語っています。
最後は、原子核模型を示したイギリスの物理学者ラザフォードの言葉です。
多くの科学者による地道な研究の積み重ねと、それを礎とした「セレンディピティ」との往還による科学の進歩の道程を、一流の学者が語ったものです。
信念の言葉
人の記憶に残る箴言は、語る人の強い信念の表出でもあります。
まずご紹介するのは、1904年2月9日の日露戦争開戦に際しての「平民新聞」の主張です。
平民新聞は、幸徳秋水・堺利彦らが興した「平民社」が発刊した週刊新聞でした。その主義主張の当否・是非はともかくとしても、当時のジャーナリズムには明確な信念にもとづく強烈なメッセージがありました。
もうひとつ、黒岩涙香の「万朝報」発刊の辞です。
こちらの新聞は、明瞭・痛快を編集方針とし、社会派的な暴露記事で読者を獲得していきました。(ちなみに、当初、幸徳秋水や堺利彦も万朝報の記者でした)
言論が、自らの存在に誇りを持っていたのでしょう。我れが「輿論をつくる」という気概ですね。(今の新聞は、「時の政権や世論(あるいは、スポンサー)につくられている」感がありますが・・・)
あわせて、海外の例もご紹介しましょう。
フランス革命期のジャーナリストのマラーは、「人民の友」紙でこう訴えています。こちらは、冷静でシニカルです。
さて、次にご紹介するのは、すでに江戸時代中期において「人間の平等」を思っていた安藤昌益の「自然真営道」のなかの言葉です。
封建的身分制度の世の中に対し、ひとり異を唱えた社会批判でした。
最後は、正岡子規の「病牀六尺」より、病苦と闘いながら語った青年の力への期待の言葉です。
生きる姿勢
歴史に名を残した人。そういった人の生き様から発せられた言葉は、やはり浸透力が違います。
まずは、かのベートーヴェンの「手記」からの言葉です。
純粋な行為の勧めであると同時に、おそらくは自分自身の信念でもあったのでしょう。
次は、中国明代の陽明学左派の思想家 王心斎の「鰍鱔説」での言葉です。
(p101より引用) 甕に鱔あり。重なりあいて気息奄奄。一匹の鰍なかより現れて暴れまわれば、鱔は鰍によって身を転じ、気を通じ生意あるを得たり。・・・たちまち雷雨おこる。鰍、機に乗じて躍り出、大海に投じ、快楽かぎりなし。甕中の鱔をかえり見、身を奮って竜と化し、ふたたび雷雨をおこし、甕を覆す。かの気息奄奄たりしものみな蘇り、相ともに大海に帰りぬ。
知行合一を説く陽明学のダイナミックな思想が迸ったような生き生きとした文章です。
また、行動派という点では、西欧社会の代表としてフランス革命期のロベスピエールにも登場願いましょう。彼の「人権宣言草案」からのフレーズです。
さて、最後は、有名な社会運動家ヘレン・ケラーの言葉をご紹介します。
こちらは、自分の気持ちに正直に向き合った、まさに真実の言葉だと思います。
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