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般若心経 (玄侑 宗久)

般若波羅蜜多の響き

 孔子や老子といった極めてポピュラーな思想家の著作は目にする機会が多いので、何となく「儒教思想」「老荘思想」とはこんなものかというイメージが浮びます。
 他方、東洋思想におけるひとつの大きな底流である「仏教」については、どうも「宗教」という色彩が強く、そういった先入観からなかなか触れる機会がありませんでした。

 このところ「武士道」「五輪書」あたりの流れから「禅」関連の本も読んだりしましたが、今回は、最もベーシックな仏教関係の知識をということで「般若心経」を選んでみました。

 「般若心経」は、ご存知の通り「大乗仏教」における代表的な経典のひとつです。
 般若心経は「般若波羅蜜多」を主眼目においています。
「般若」とは、「理知によらない体験的な『知』の様式」だと言います。「般若波羅蜜多」で「智慧の完成」と訳されることが多いとのことです。
 般若心経は、「般若波羅蜜多」に至る道を説いていますが、最後に、それに達するための咒文を示しています。

(p194より引用) このお経は、テーマが「般若波羅蜜多」という普遍的真理、そしてそれを実現するための咒文です。

 響き」が「文字」を越えた導きになるとの考えです。
 そもそもバラモン教をはじめとするインドの宗教文化においては、「聖典の暗誦」が基本的な修行でした。

(p126より引用) 言葉というものが、どのような状況で誰に向けられたものであるかを抜きに一般化されて伝えられるべきでないという考え方。・・・ 表情や声の響きその他、音声言語には文字には写しとれない豊かな情報が含まれているということです。

 言葉は、その聞き手に対して発せられます。聖人の教えは一人一人に向かうということです。
 本書の巻末に「般若心経」の全文が載っています。本文262文字。試しに音読してみましょう。

「空」

 百科事典によると「空はいっさいの実体(有)を否定し、それに執着しない人間の精神作用である」と説明されています。
 般若心経を解するには、この「空」という概念が肝になります。

(p39より引用) 仏教的なモノの見方をまとめるなら、あらゆる現象は単独で自立した主体(自性)をもたず、無限の関係性のなかで絶えず変化しながら発生する出来事であり、しかも秩序から無秩序に向かう(壊れる)方向に変化しつつある、ということでしょうか。

 「色不異空」、「色は空に異ならず」。
 「色」とは、物質的現象すなわち「形あるもの」を言います。また、「変化するもの」「壊れるもの」という意味もあります。「空」は、「自性」という固定的実体がないということです。

 般若心経の中でも代表的な句である「色即是空」は、

(p52より引用) 我々が知覚するあらゆる現象は、空性である。つまり固定的実体がない、ということ

 また、「空即是色」

(p52より引用) 「空」であるが故に「縁起」し、あらゆることが現象してくる、ということ

だそうです。
 この「空」という概念は「梵我一如」の根底でもあります。

(p55より引用) 世尊は、ウパニシャッド哲学の云う「梵我」という二元を、共に「空性」であると悟って止揚されたのです。この意味での「梵我一如」を悟ることが初期の「悟り」とされました。

 「般若波羅蜜多」は「空」の実現そのものでもありました。まさに「般若の空」です。
 「空」に至らない段階は「私」が残っている状態です。「私」があると「意識」が生まれます。

(p155より引用) 「意識」などは、最も虚構性の高い代物であるわけです。「般若」の眼で見れば、全てが自性のない暫定的な出来事なのでした。

 「私」がある限りは「空」に至ることはできません。

(p199より引用) 自分で作った「私」という殻がいかに「苦」を生みだすものであるか、・・・
 知的に明確に知ることで得られるのは、やすらぎではなく単なる満足にすぎません。知的に知る主体は「私」だからです。

・・・、やはり難しいです。


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