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日本人と中国人ここが大違い (中嶋 嶺雄)

 著者の中嶋嶺雄氏現代中国学の専門家です。本書は、その著者自身の実地の経験に基づく「日本/中国比較」に関する軽い読物です。

 欧米人から見るとほとんど区別がつかない中国人と日本人ですが、その思考や行動に表れる根源的な思想には大きな相違があるといいます。

 時代を遡ると、古代から日本は中国の影響を受けてきました。しかしながら、その影響は、日本を中国化したというよりも、むしろ日本的に咀嚼され取り込まれていったようです。

(p31より引用) 日本は中国文化を受容したけれども、あらゆる点において、それを日本的に変容して、そこに日本の美を創造しているのではないかという問題に行きつくのではないでしょうか。

 以下、本書で紹介されている日本と中国との違いについて、私の興味を惹いた点を記しておきます。

 まずは、中国の「法律感」についてです。
 よく中国は、「契約遵守」の姿勢が欠如しているといわれることがあります。その点について、著者は、中国法の歴史的特質から以下のように解説しています。

(p148より引用) 法治主義といっても、それはもっぱら処罰するだけですから、中国の法律は、中国古刑法に見られるように、罪刑法定主義の立場を一貫してとってきました。・・・そうした法体系のもとでは、民衆の権利よりも、義務に重点がおかれるとともに、いかに重刑を科すか、いかに処罰するかに力点があるわけで、ローマ法以来の権利の法典、いわば国民の基本的な立場や権利を擁護するという、西欧的な法体系とは正反対で、根本的に違っているのです。

 もうひとつ、「大同小異」という言葉のニュアンスについてです。

(p165より引用) 日本人は、「小異をすてて大同につく」というふうに、そこでものごとを割りきって、結論をつけてしまいますが、本来のことばは、
「小異をのこして、大同をもとめる」(「存小異、求大同」)
 というのが正しいのであって、違いや対立、矛盾や問題点は依然としてその場に残るのです。・・・
 ・・・右の言葉の解釈においても、日本人と中国人との大きな違いがあるのです。

 著者は、サクサクと日本と中国との比較を紹介しています。
 「義」と「礼」「士」と「文」「タテ社会」と「ヨコ社会」「産業民族」と「商業民族」・・・。ただ、種々示される相違の根源が、たとえば、日本の男性的な「武家文化」と中国の女性(中性?)的な「宦官文化」にあるといった立論は、本書の前に読んだ白川静氏の学究の仕事と比べると、正直、その精緻さという点では大いに物足りなく感じざるを得ませんでした。


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