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動物農場 ― おとぎばなし (ジョージ・オーウェル)

 以前読んだエンゲルスの「空想より科学へ」の流れで手にとってみた本です。

 本書のあとに執筆された「1984年」で有名なイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、スターリン体制を痛烈に批判した風刺作品です。
 登場する人間は、ロシア帝国、大英帝国、ナチス・ドイツ等、動物は、豚が主役クラスで、スターリン(ナポレオン)とトロツキー(スノーボール)、レーニン(メージャー爺さん)といった具合、確かにかなりスパイスが効いていますね。

 まず、人間(ロシア帝国)が経営する農場に飼われている動物たちに、豚のメージャー爺さんが現状変革を訴えます。

(p17より引用) 人間とたたかうにあたって、わしらは人間と似てしまわぬようにせねばならぬ。人間を打ち負かしたあとでさえ、やつらの悪徳をとりいれてはならぬ。・・・人間の習慣はすべて悪しきものじゃ。そしてなによりも、いかなる動物も、自分の同胞に横暴なふるまいをしてはならぬ。・・・いかなる動物も、ほかの動物を殺してはならぬ。動物はみな平等なのじゃ。

 そして農場で動物たちの反乱が起こり、あっけなく人間たちは追い出されてしまいます。
 動物たちだけの農場でリーダーシップを取ったのは、ナポレオンとスノーボールという2匹の豚でした。搾った牛乳を前に1匹の豚ナポレオンはこう言いました。

(p36より引用) 「同志諸君、牛乳のことは心配するな!」とナポレオンがバケツのまえに出てさけびました。「これはなんとかしておく。それより大事なのは刈り入れだ。・・・」・・・
 ・・・そうして夕方になってみんながもどってきてみると、牛乳は消えていたのです。

 実はこの牛乳は、豚たちの餌だけに混ぜられていたのでした。
 そして、農場運営に関し、ことあるごとに対立していた2匹の豚ですが、スノーボールの追放によりナポレオンが実権を握ることになりました。

(p69より引用) ナポレオンは、いぬたちをしたがえて、床の一段高いところにのぼりました。・・・今後は、農場の運営に関わる諸事万端は、特別委員会でとりきめる。委員長は自分がつとめる。それは非公開の会議とし、ほかのものにはその決定を事後に伝える。

 ナポレオンによる独裁のはじまりです。
 この独裁政権下の豚たちによる官僚制の実態を、オーウェルは皮肉を込めてこう描いています。

(p154より引用) 農場の監督と組織管理には、なすべき仕事が限りなくあるのでした。・・・たとえば、スクィーラーは、ぶたが「ファイル」、「報告書」、「議事録」、「覚書」と呼ばれるなぞめいたもので毎日莫大な労働量を費やさなければならないとかれらに説明しました。その書類は大判の用紙で、そこに文字を書き込まなければならず、記入がすんだらそれはただちに炉に入れて焼かれてしまうのでした。・・・それでも、ぶたもいぬも、みずからの労働によってはいかなる食物も生み出しませんでした。

 ナポレオンの独裁が進むにつれて、人間を追い出した反乱直後に決められた「七戒」が改変されていきました。元の言葉にどんどん「但し書き」がついて、意味が反転していったのです。そして、その極めつけがこれです。

(p161より引用) いまや、〈戒律〉はたったひとつしかありあませんでした。それはこう書かれていたのです。
 すべての動物は平等である。
 しかしある動物はほかの動物よりも
 もっと平等である。

 巻末に「序文」として準備されていた「出版の自由」という小文が載っていますが、その中に、本書を世に出すにあたってのオーウェルの気概が記されています。

(p197より引用) この十年間、わたしは、現存するロシアの体制がおおむね悪しきものであると確信してきたのであり、ぜひ勝利したいと思う戦争でわが国がソ連と同盟国であるという事実があるとしても、それを言う権利が自分にあると言いたい。

 本書は、刊行にあたって、「この時期、この内容は『差し障り』がある」というイギリスの出版社の自主規制の対象とされました。

(p199より引用) もし自由というものがなにがしかを意味するのであれば、それは人が聞きたがらないことを言う権利を意味する。ふつうの人びとは、ばくぜんとではあるが、いまだにこの原則に同意し、これにしたがって行動している。わが国では、・・・自由を恐れるのは自由主義者であり、知性に泥を塗りたがるのは知識人なのである。その事実に目をむけてもらいたいと思い、この序文を書いた。

 オーウェルが闘ったのは、スターリンの独裁主義・全体主義だけではありませんでした。相手は、「自由主義」でもあったのです。



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