庭と日本人 (上田 篤)
著者の上田篤氏は、建築家・建築学者です。
とはいえ、本書は、建築学的側面からの「庭」の解説・紹介ではありません。縄文時代から江戸期にかけての「庭」を材料に、「日本人の精神文化」を論じた著作です。
「日本文化論」としての専門的論考を求めると、さすがに少々立論に粗さが感じられますが、著述のなかの「和歌」や「俳句」を引用した解説には興味深いものがありました。
たとえば、宝池を中心とした浄土庭園を説明した章での、有名な芭蕉の句の解釈です。
(p102より引用) 「浄土の庭」は乱世がつづいて人々が極楽浄土をもとめるたびに、その後もたゆまずつくられた。じっさい西芳寺の庭も金閣寺の庭も、南北朝の動乱のころにつくられている。銀閣寺の庭も応仁の乱の直後だった。・・・
芭蕉もまた奥州平泉をおとずれたとき、毛越寺庭園跡のすぐ北にある中尊寺金色堂の阿弥陀仏に一句をささげている。
五月雨の降りのこしてや光堂(「奥の細道」)
五月雨を乱世とみ、そのなかに光るものを阿弥陀仏とみたのだろう。
この芭蕉の句を「浄土思想」のなかに位置づけて解する見方は珍しいものだと思います。
もうひとつ。庵に代表される日本建築の特徴について、いくつかの和歌を材料に解説した部分。
(p149より引用) 簡素なすまいを愛するのはこの国の伝統だった。
たとえば奈良時代に山部赤人は、
春の野にすみれつみにと来しわれぞ、野をなつかしみ一夜寝にける(『万葉集』1424)
とうたって、野に生きる万葉人の喜びをあらわした。・・・
また鎌倉前期に『愚管抄』というかな文字の日本歴史をかいた天台僧の慈円は、
引きよせてむすべば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり
とよみ、野のなかにすまうことを理想とする日本建築の本質をいいあてている。
こちらは「なるほど」という感じがします。
本書で紹介されている庭のいくつかは、私も実際訪れたことがあります。
ただ、最近は、ゆっくりと庭を眺めたり歩いたりすることはありません。こういう本を読むと、久しぶりに京都あたりに行きたくなりますね。
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