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ブータンに魅せられて (今枝 由郎)

 ブータンは、第四代国王ジクメ・センゲ・ワンチュックが提唱した「GNH(Gross National Happiness):国民総幸福」という理念を掲げている国として注目されています。が、日本にとっては未知の部分が多く、まだまだ「近く親しい国」とはいえません。

 本書の著者の今枝由郎氏は、10年にわたり国立図書館顧問としてブータンに赴任した経験をお持ちの東洋仏教史の専門家です。
 その今枝氏が語るブータンの姿は、欧米を中心とした国際的な金融資本主義経済諸国とは際立った差異を示しています。
 この差異は、仏教の研究者である著者にしても強く感じられるものでした。

(p60より引用) 仏教を研究対象とする自分の態度と、まず第一に仏教徒であるブータン人のそれとの間に、たえず大きな開きがあることに気がついた。

 こういった差異は、仏教関係者に限らず一般人の場合にも見受けられます。多くの日本人は、寺院や仏像を信仰の対象としてのみならず、「観光」「鑑賞」の対象としても捉えています。

(p65より引用) わたしにはブータン人が、仏像・仏画を仏として、あくまで礼拝の対象として扱っているという態度がよく理解できた。目にする、写真撮影するという次元とは別に、「拝む」という本来の次元が生きているのである。

 著者を含む日本人にとって「客体」である仏教が、ブータンの人々にとっては、まさに主体と一体化した自己を取り巻く環境(生態圏)そのものなのです。

 本書で紹介されているブータンの日常は、現代の日本の空気と比較するといろいろと考えさせられるものがあります。
 その特徴的なものとして「時間」について。

(p94より引用) ブータンの時間は、流れるようで、止まっており、止まっているようで、流れていた。この時間が、誰もがお互いに関心を持ちつつ、必要とあらば、立ち止まって手を貸し合える余裕を生んでいた。人びとの歩みに、眼差しに、なんとも温かさが感じられ、なんと人間的なんだろう、と羨ましさを禁じえなかった。

 こういったブータンの生活、特に精神文化のありようは、現在の資本主義諸国を対極において、それと比較し「良し悪し」の評価が下せるものではありません。そもそも拠って立つ地盤そのものが全く別物なのです。

 さて、最後に、注目を集めている「GNH(Gross National Happiness):国民総幸福」という理念について、第四代国王が語った内容を、少し長い引用になりますが、ご紹介しておきます。

(p165より引用) 国として、経済基盤は必須であり、ブータンも当然経済発展は心がけている。しかし仏教国としては、経済発展が究極目的でないことは、経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。そこで仏教国の究極目的として掲げたもの、それが「国民総幸福」である。しかし今考えると、「幸福」(happiness)というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、国の方針とはなりえない。私が意図したことは、むしろ「充足」(contentedness)である。それは、ある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に、誰もが感じることである。この充足感を持てることが、人間にとってもっとも大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民の一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。

 著者は、この言葉を受け、ブータンをして「それが人間が幸福であることとなんの関係があるのか」を問う「仏教ヒューマニズムの国」であると結んでいます。



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