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新訂 海舟座談 (巌本 善治 編)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 かなり以前に「氷川清話」は読んだことがあるのですが、久しぶりの勝海舟関連の本です。

 勝海舟といえば、江戸末期、万延元年(1860年)に咸臨丸で渡米、帰国後は軍艦奉行に就任、その後、中核の幕臣として江戸城無血開城を実現。明治維新後は、参議・海軍卿・枢密顧問官を歴任し伯爵に叙せられた傑物です。

 本書は、晩年、明治28年(1895年)から32年(1899年)にかけて海舟が語った体験談を巌本善治氏が筆録したもので、その口調まで写した興味深い著作です。
 そこに記されているストレートな政治・社会批評ともいうべき内容は、その視座の高さ・本質を一言で突く鋭さ等、とても刺激に富んでいます。

 たとえば、こんな感じです。

(p57より引用) 国というものは、独立して、何か卓絶したものがなければならぬ。いくら、西洋西洋といっても、善い事は採り、そのほかに何かなければならぬ。それがないのだもの。つまり、アジアに人がないのだよ。それで、一々西洋の真似をするのだ。

 同じような言は、その他の会話の中にも見られます。

(p118より引用) 国民がそうなのだ。西洋の理屈ばかし聞きかじって、それで皆な貧乏するのサ。西洋の方では何と言うエ。あんまり賞めもすまい。お猿だと言うじゃアないか。

 もうひとつ、巌本氏から「維新後、大機会をあやまったということは、いかなる場合ですか」との問いに答えて。

(p165より引用) 十年の西南戦争と、今度の朝鮮征伐(日清戦争)サ。しかし十年の時は、まだ善かった。アレデ、こうなったというものもまだなかったが、今度は、皆がソウ言って来るようだ。どっちも勝ったものだから、実にいけない。もとよりドレといって明らかな事もなし、ズルズルだが、どうせ、これでいいと思う高慢が皆ンナいけないのだ。

 このあたりの社会・政治情勢の見方も、多勢に流されず冷静ですね。

 これに似た姿勢は「金貨本位制の賛否」に関する海舟の言葉の中にも表れています。

(p192より引用) どうせ金貨国と貿易をするのだから、つまりは金貨本位にするより仕方がなかろう。
 こんな問題は。利害双方の道理のあるもので、どうでも言えるものだ。それを議論で極めようと言うから間違うのさ。つまり実行の手段にあるのだ。やる人の手加減で、善くも悪くもなるのだという事に気が着かんのさ。

 社会の潮流を大局的につかむ認識力の鋭さに加え、現実の社会を動かしていく人材を見抜く海舟の洞察力には際立ったものがありますね。

 このあたりの海舟の資質の底流にある考え方を、自身、こう語っています。

(p212より引用) 主義だの、道だのといって、ただこればかりだと、極めることは、私は極く嫌いです。道といっても大道もあり、小道もあり、上には上があります。その一つを取って、他を排斥するということは、不断から決してしません。人が来て、色々八釜しく言いますと、『そういうこともあろうかナ』と言って置いて、争わない。そしてあとでよくよく考えて、色々に比較して見ると、上には上があると思って、真に愉快です。

 さて、本書ですが、海舟の語りを筆録し「清話のしらべ」と名付けられた本編にとどまらず、後半の「附録」も必読です。
 海舟所縁の人々が語る数々のエピソードや思い出が紹介されているのですが、これがまたなかなか面白いものです。

 その中から、足尾鉱毒事件の解決に尽力したことで有名な田中正造氏の海舟評を書き留めておきます。

(p285より引用) いやしくも国の興廃存亡の真相を見るの目は、その人にありて、決して読書等の力にあらざるなり。安房守の学文は普通なり、ただ安房の智、安房の徳は、天賦にして、普通凡庸の遠く及ばざるのみか、企てて及ばざる所なり。しかして、またこれを知るもの、少なからん。その知る人の少なきほどに、奇妙なり。尊きとも申すべきかな。

 やはり海舟、破格のスケールをもった正に稀有の人物だったのでしょう。

 最後に、海舟といえば、やはり西郷隆盛

(p213より引用) これまでの長い経験では、たいてい、日本人の目に大馬鹿と見えるのがエライようです。
 西郷ナドも、本当の考えを言って、相手にする人が少なくて、真にさびしかったようです。

 海舟ならでは、本心からの言葉でしょう。



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