同行二人 松下幸之助と歩む旅 (北 康利)
今まで、恥ずかしながら、松下幸之助氏に関する本はほとんど読んでいません。以前「夢を育てる」を読んだぐらいです。
今回は、年末年始に読む本を探しに図書館に行った際、目についたので手にとってみたものです。もちろん「松下幸之助」氏には興味がありましたし、タイトルや著者にも惹かれるところがありました。
本書では、まさに「同行二人」、幸之助の生涯をともに辿っていきます。
その中でもとりわけ私が興味深く読んだのは、「経営の神様」との別称に通じる若き日の幸之助の姿勢でした。
たとえば、後年の幸之助の「非情」の真意に触れたくだりです。
富農の暮らしから一転貧乏のどん底に、そして、相次ぐ家族の不幸・・・。昔を語る幸之助には、触れたくはない「暗い時期」があったようです。とはいえ、幸之助は前向きでした。そして、同時に謙虚でもありました。
失敗を「他責」にしないのは成功者共通の姿勢ですね。
さて、昭和4年(1929年)、ニューヨークに端を発した金融恐慌が世界中の企業を襲いました。ちょうど事業が軌道に乗り始めた松下電器も倒産の危機に直面し、当時大番頭の井植歳男は幸之助に従業員の解雇を申し出ました。幸之助は病床に居ましたが、何とか解雇なしで乗り切る方策を捻り出しました。
このときは解雇は回避できましたが、さすがの幸之助も終戦直後には止むを得ず従業員整理を行っています。「終身雇用至上主義」ではありませんが、終身雇用を志向する精神には確固たるものがありました。
「終身雇用の本質」を冷徹に意識しつつも、幸之助は「人は資本」であること誰にも増して強く思った経営者でした。
「人」を大事にする気持ちは、従業員に対する厳しい姿勢にも繋がります。
この姿勢は、社員だけではなく、松下を支える「販売店」との対応にも貫かれました。
有名な「熱海会談」での幸之助のことばです。
「事業部制」「週休二日制」「水道哲学」「新販売制度」・・・、幸之助の経営の先進性を示す施策は数多くあります。
それらの成功から幸之助は「経営の神様」と称されましたが、あるとき新聞記者からその経営の要諦を問われた幸之助は、「『天地自然の理法』にしたがってきました」と答えたそうです。
本書で、最も私の印象に残ったくだりです。
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