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坊っちゃん (夏目 漱石)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 久しぶりに海外出張に出たのですが、行程が慌ただしくて少々疲れました。
 全く次元は違いますが、漱石も海外留学の時期、かなり精神的に厳しかったということを何となく思い出し、彼の手頃な代表作を今ごろになって手に取ってみました。
 改めて思い返してみると、恥ずかしながら通読するのは初めてかもしれません。

 冒頭の一節、

(p5より引用) 親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて1週間程腰を抜かした事がある。

を読んでも、書き出しはこうだったのかと思うばかりで、全く記憶にもありません。このあたり、誰もが知る冒頭の句を持つ「我輩は猫である」や「雪国」とかとは決定的に違いますね。

 さて、この小説は漱石が英語嘱託となって愛媛県尋常中学校に赴任したときの経験を元に書かれたものだとされています。どこまでが、その漱石の体験を模写したものかは定かではありませんが、「坊ちゃん」では、着任早々、校長(狸)から高尚な教育論とあるべき教師の姿を説諭されます。

(p23より引用) おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云う様にはとても出来ない。・・・旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底あなたの仰ゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。

 世間ズレしていない一本気な “坊ちゃん” の性格が早速にストレートに吐露されたシーンです。

 そんな“坊ちゃん”には、唯一といっていい理解者がいました。“坊ちゃん”の家に仕えていたお手伝いの“清”です。かの地で出会う人々と比べると、“坊ちゃん”にとって、この“清”の真っ当さが直更に際立つのです。

(p49より引用) それを思うと清なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆さんだが、人間としては頗る尊い。今まではあんな世話になって別段有難いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。・・・清はおれの事を慾がなくって、真直ぐな気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。

 “赤シャツ”が“坊ちゃん”に対して、したり顔に世渡りの法を説いたときも、“坊ちゃん”は “清” のことを思い浮かべます。

(p68より引用) 赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツより余っ程上等だ。

 そして、結局“坊ちゃん”は1年するかしないかで、“清”のもとに戻っていくのでした。

 この小説をもって、私ごとき素人が何か高邁な論を語るのは大いに役不足ですし、何より粋ではないでしょう。まずは、単純に、“坊ちゃん”と彼を取り巻く多彩な人物との掛け合いや絡みを、その小気味のいい語り口とともに楽しむことだと思います。

 しかし、読み通して改めて、「坊ちゃん」とは、見事なタイトルをつけたものだなあと感じ入りましたね。ストレートに一言、まさに“言い得て妙”というべきです。



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