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納骨


年が明け、友人が昨年の九月に亡くなったお母さんの納骨をすませてきた

納骨でお坊さんのお話しを聞き
自然に涙が溢れてきたと

泣けるようになったんだね

良かった

「ノリかなのさみしさがわかったよ」
と言ってくれる

何も変わらない
ただ母だけがいない 
ずっとずっと置いてきぼりを喰らっている

多分友人もおんなじ思いだろう

あなたもお母さんっ子だったから

お母さんが施設に入らざるえなくなった時、どうしても家でみたいと言ったけれど、それでは共倒れになってしまう

涙をのんで耐えていたね
お母さんのそばにいたいのに

流行り病のせいで最初は直接会えなくてリモートになる
その次は月に一回ガラス越しの面会

段々、娘のことが分からなくなるのがつらいと言ってくる

家にいるわたしの母を羨ましく思っていたのかもしれないが
わたしの母の方が先にあの世旅立って行った

立場は逆転して施設に入っているけれれど彼女の母は生きている

「お母さんは生きている、肉体はあるじゃないか」
わたしは心の中でそう呟く
そしてまだ彼女にはお父さんもいる

心の奥の本心をわたしはおくびにも出さないで…

多分ね、彼女も思っているだろう
「あなたには子供がいる」と

「わたしは父を失くしたらひとりぼっち」
以前にそんな話しをていたから

みんな闇を抱えている
心の闇

だからかな、わたしのさみしさを分かったと言ってくれた

わたしのそばにはいつも母がいてくれる

もう少ししたら彼女にも分かるだろうか

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