ちょっと心が…
昨年初夏、家で交通事故並みの両足骨折をした。
自分で救急車を呼び、2回の手術、懸命のリハビリで2ヶ月プラスαの入院。
入院中は必死に毎日3回のリハビリをして、ちょっとユニークな仲間たちと楽しく過ごせたが…、娑婆に出たら自分の出来ることの少なさに唖然とした。
手始めにスーパーへ行くと、まるで老婆になったような感覚で、ショックを隠せない。
今までの20%位の力しかない。
この現実をどう受け止めよう。
自分のことだけで、手一杯のパンパンなのに、そこへ病を抱えた母の体調が悪化。
動脈硬化から左足親指と中指が壊死。私がずっと足の処置をする。
頑固、わがまま、ひねくれ者の母にどう接したら良いのか、途方にくれる。
挙げ句に乳ガンの抗がん剤の副作用で貧血、腎臓機能低下で死にかかる。
神様、重すぎませんか?と問いかける余裕もない。
自分の心がいっぱい、いっぱい。
何も考えられないし、何も受け止められない。
身体は固まったまま。
気づいたら、息子は巣立つ。
老婆2人、どうしましょう。
母は自分のことは自分で出来る。
でも甘える。
もう無理、もう無理と心の叫びを訴えても、母は受け止められない。
甘えられても困るのに、私は私で無駄な努力をしていると息子に指摘される。
それすらも分からない私。
言ってもダメか、私が変わるしかないとやっとやっと心が動く。
母は「私を捨てるのか」という。
そんなことはない。
間も無く、骨折して骨を支えていた私の足に入っている金具を抜く日が来る。
しばらくは私の足で精一杯、あなたのことは構えませんとはっきり宣言をした。
足の処置には訪問看護に入ってもらう。
そうすると「ひとりは不安」。
こっちも「はい、そうですか」とは言えない。
「私に金具を抜くなと言うの?手術をするな、入院するなというの?それは出来ない」
しばらくひとりにさせて欲しくて、誰もいない家に帰る。
最近まではそれすらも出来なかった。身体が動かない、心が固まったまま。
そんな状態で、息子の気持ちも分からない。気づいた時には遅かった。
でも息子は巣立ったから、結果オーライなんだよね。
さみしいけれど、それが親。
いつまでも息子を縛れない。
でも辛い、淋しい。
至らない私は息子から…ノックにパンチを喰らう。
自業自得、それが今の私。
落ち込んでも、泣きながら「ありがとう」を言い続ける私。
少し前までは涙も出なかった。
涙が出るようになっただけ、心のカチコチが緩んだのかもしれない。
今朝、初めて息子のまえで泣いた。
昨夜は母の前でも泣いた。
ひとり、車の中で、馬鹿みたいにワンワン泣いた。
いつ折れるか分からない心が、ほんの、ほんの少し柔軟になったのか。
「ありがとう」という言葉の持つ力、すごいね。
「神は越えられない苦労を与えない」という、人間は自分で限界を決めてしまうのか。
私だけではない、みんな同じように荷物を背負い、平然と生きている。伊集院静氏の言葉が胸に刺さる。
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