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鬱のコペルニクス的転回について

 前回の稚拙なnote記事に、ありがたいことにコメントをいただき、鼓舞していただきました。現在、この記事を書く力をくださったのは、お読みいただいた方々のお陰です。ありがとうございます。

今回は10年来の鬱歴の中でも割と大きなコペルニクス的転回が訪れたと感じているので、それを記したいと思います。


今まで

今までは、うつ病になる原因は「ストレス、環境、幼児体験、トラウマ、脳の機能障害、ホルモンバランスの乱れ」であると考えていました。そして「抑うつが2週間以上続いて、日常生活に支障をきたすような身体的、行動的症状が出た場合、うつ病である可能性があり、病院に行った方が良い」とも考えていました。

現に、私は小学5、6年生のころから軽躁、鬱の波を繰り返しており、大学受験に耐えられなくなった高3でようやく精神科にかかった、という流れです。自分の母親が、うつ病、強迫性障害などで長年通院しており、西洋医学的治療を受けていましたが、治っていなかったことから、自分は漢方治療をベースに+レクサプロ(SSRI)という治療方針で1年と半年治療を続けています。

そこで母親がうつ病、強迫性障害になった理由を中学時代から考えていたのですが、やはりそこで「母親との関係」というのが浮かび上がりました。
つまり私の祖母、ということです。
母の母(私の祖母)母の弟(私の叔父)はどちらも指定難病を抱えていて、母はそのストレスのはけぐちにされ、暴言や暴力を受けたということです。それが「愛着障害」となって、「うつ病」や「強迫性障害」を招いたようです。
そして「愛着障害」は遺伝する可能性が高く、また遺伝子的にみても精神疾患は遺伝すると。
※岡田尊司『死に至る病』光文社新書、2019年、135ページ
橘玲『言ってはいけない』新潮社、2016年、24ページ、124ページ

つまり、母親のいわば業のようなものが、私にまわってきている、と当時の私は分析したわけです。ですから、「祖母と母親の関係を良好にすれば母親と私の関係も良好になる」「母親と私の関係を愛着障害の観点から治療すれば鬱はマシになる」と仮説を立て、実践しました。

自分も、母親も、「うつ病」という病気で、それは「休養」「薬物治療」「精神療法」で治せると信じ込んだわけです。
中高生のときは学校があって、満足のいくように休養が取れないし、精神療法(カウンセリング)も受験勉強で忙しい、だから大学に入学してから鬱の治療はすればいい、と考えていました。それと同時に時間を縫って鬱の本を大量に読み漁りました。(自己啓発も)
結局、高3は不登校で実質、十分に休息し、カウンセリングも薬物治療もできましたし、本で書いてある知見はかなり大部分を試しました。

しかし
変わらないんですよね。鬱であることも、躁であることも。
今一浪なんですが、結局、確かに親は少しは変わりましたが、まあ根本的には変わっていない。
薬物治療をして一年と半年経ったが、変わらない。
ゆえに、なにか間違いがあったということです。
そこで改めて自分の生き方を考え直すことにしました。

前提の吟味から

①まず、自分は「うつ病」なのか?という吟味

自分がうつ病じゃないか?と疑ったのは中学一年の頃、2017年ですが、その頃から少しずつADHDだとかそういう概念が大衆化されつつあり、ネットでDSM-5などの簡易的なうつ病チェックリストも普及していましたから、それで自己診断をして、自分はうつ病なんじゃないか?と思ったわけです。あとは学校のカウンセリングで精神科を勧められたことです。
ゆえに「テキトウな自己診断」と「テキトウなススメ」でうつ病かな?と思ったわけです。考えてみれば、
「各病院が、チェックリストを公開するのは、新規患者を増やすため」
「学校のカウンセラーが精神科を勧めるのは生徒になにか問題が生じた時、責任追及されないため」です。
つまり色々な(善悪はここでは関係なし)思惑の中で漂っていた子供だったのです。
そのあと5年後ですが、高3の時、”降参”し、精神科にかかり、ここでも10分程度の会話で「愛着障害的な、複雑性トラウマによる双極性障害」と診断をくださった。うーん10分かあ。と今なら思うわけです。(当時のことを当時の私がnoteに記していました。↓)

②次に薬の正当性の吟味

自分の処方薬は
補中益気湯、帰脾湯、桂枝加竜骨牡蛎湯、人参湯
レクサプロ10mg
ですが、まあ漢方は植物由来なので(残留農薬などの心配はありますが)一旦度外視して、やはり直感的に投与は避けたかった西洋薬レクサプロが気になったわけです。で、いろいろ調べると。
大変に興味深い本がみつかりました。
冨高辰一郎『なぜうつ病の人が増えたのか』幻冬者ルネッサンス、2010年

うつ病に関心がある人は特に、(必ず!)読んでいただきたい本です。

内容を簡単に説明すると、
日本のうつ病患者の増加の理由は一般的に「バブル崩壊後の日本経済の停滞、終身雇用の終焉による社会不安の増大、日本社会の変化によるストレス」であるとされているが、実際、失業率とうつ病患者の増大に数値的な相関は見られず、むしろ1999年に新発売されたSSRI(選択式セロトニン再取り込み阻害薬)発売後にうつ病患者がどんどん増大した。
実は、日本にSSRIが導入される10年前に他の先進国(米国、欧州など)にSSRIが導入され、ある方法を行なったら、不毛の土地であった精神薬市場が爆発的に増大し、製薬会社の大型商品になった。日本はその先進国に次ぐ、新たな市場として1999年以降開発されたということだ。
ある方法とは、MR(製薬会社による医者への新薬導入の勧誘)だけでなく、一般社会に病気の存在を知らしめていくプロモーションの方法である。
製薬会社は日本社会に向けて
1、うつ病は誰でもかかりうる病気である。(誰でもかかりうる!不安!)
2、うつ病は適切な治療で治る病気である。(治る病気か!希望!)
3、うつ病は早期の受診による治療が重要である。(自分は鬱か?受診!)
「不安→希望→行動」という大々的なプロモーションを行ったのだ。
プロモーションの方法としては、製薬会社であるというのを隠して「こころの薬箱」「職場のメンタルヘルスケア」というサイトを運営し、公的機関より容易に電話をかけさせたり、パンフレットを配るなどするという方法や、芸能人・著名な医師にメディアの出演を通じてうつ病を大衆化させるという方法がある。
昔は、憂鬱という「気持ち」や「不安」で皆が共通して抱えていたものが、うつという病名をつけることで、「軽度のうつ」になった。
さらに、自身でうつ病だと思っても、医療的治療を受けない人の方が治りが早かったという事実もある。(146ページ)
つまり、製薬会社のマーケティングの一環として、我々市民は何も知らずうつ病にかかったのである────。

コペルニクス的転回


もちろん、いちうつ病患者として、信じたくはない。私の悲しみは本物であって、悲しいから涙をした。やるせなくて無気力で自殺衝動をした。
だけれども、もしかしたら、うつ「病」という名前に左右されていたんじゃないか。ということです。

「病気」を自分でやめる決断をするということです。
「病気」を自分で忘れるということです。
そういう強さが求められているんじゃないか。

鬱だって、感情のすばらしい躍動であって、治療の対象とすることは間違っている。確かに、幼児体験、トラウマ、親、先天的特性、いろいろあると思うけれども、それでできてしまった思考のメガネみたいなものを取り替えるのは非常に困難だけれども、(そもそも歪んでいることに気づけないからです。私がそうであったように)もう少し強く人間は生きていけるのではないか、という希望の話でもあるんです。
おそらく、この論理はうつ病の渦中にある時はこの記事を書いた私でさえ耳を貸さないかもしれない。
それは、一旦自分を否定することになるから。もっと頑張れってことかよ?って思ってしまう。
うつ病を言い訳しているということではなく、うつはうつとしての苦しみがある。でもその苦しみを薬で伸ばさなくても良いのではないか?ということです。
薬に頼らないことで、もっと自分の内面的な歪みを見つけられるかもしれない。さらには、理由探しという段階を超えて、さらに強くなれるかもしれない。


おそらく、他人の価値観を内面化してしまっていた。
それには、社会としての歪みもあった。親や学校や社会から、特定の価値観や基準にそって個人の人格的善悪が定められた。
でもそういうことのおかしさ、違和感に気づく時であって。
うつ病は自分の魂からの歪みの報告である。ということである。

自分がちょっと歪んでいたんだということに気づく。
そこで善悪・幸不幸の判断を自分や人に、くださない。
ただ事実をそのままに想う。
時間がかかる作業です。

この時間のかかる作業を、スピード感のある社会は許していかないといけない。今の社会は、寛容というより、無関心です。

そういう訓練が心を強くするのではないかと考えるようになりました。

いまだに私は、うつの気持ちを味わっています。
抜け出すことが良いのか、どうなのか。
生きていることに意味はあるのか、無意味なのか。
そんな禅問答のなかで、判断を容易に下さずに、ネガティヴ・ケイパビリティを持って、生きていく必要がある。

強く生きるために(効果あったもの!)

①とにかく読書
偉人の本を読むことはそのトレーニングになると感じています。
偉人の壮大な人生を読むことで、自分を客観視できる気がします。
また、読書をするとなんだか気分が楽になります。鬱の解決策の本を読むのもいいですが、経験則的に、全く違うジャンルか小説がおすすめです。
(6分の読書でストレス68%減という研究あり)
本は人生を変えます。

↓鬱には強い使い方がある!という勇気の出る本です。

↓コペルニクス的転回のきっかけといっても過言ではない本です。


②とにかく日記
このコペルニクス的転回に気づくことができたのは何より、日記だと考えています。鬱が激化するととても日記なんぞかける気持ちではないのですが、1日ぐらい休んでも明日書くかぐらいの楽な気持ちでいると案外書けます。
いろんな疑問を書き込んでいき、本の感想から、人に言われた言葉、出来事、なんでもいいから書きます。そうすると、ネットワークみたいなのが完成して、いつの間にか面白い考えに至っていることもあります。また、自分のアタマを別媒体に移すので気分が楽になるというのもあります。
↓日記を書き始めたきっかけの本です。(youtubeも上がっています!)

※③勤行か、中村天風誦句集を音読
これは大変ユニークなのですが、なにか肚を使った身体的なパワーを高めたいなと思って何気なく始めました。祖母が仏教徒だったので(特定の宗教には入っていません)それを見ていたからか、毎日朝夕お経を唱えることにしています。それから、中村天風氏がすごい好きで、毎日誦句集を唱えることにしました。(最近です汗)
とにかく、うつだけ味わうのもなんなので、楽しい気持ちを思い出す訓練をしています。

あとは、もう少し生活習慣を整えたり、運動を積極的にできたらこの上ないのですが、地道にやっていこうと思っています。

何事も二兎は追えないかな、と思います。
なにかを一旦、保留にする必要があるかもしれない、そういう考えがあれば強くなれる気がします。

おしまい


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