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[マイペースなオーストラリア留学] 宗教と私という交わらないもの

先日、語学学校の友人に誘われて、教会の礼拝に参加してきた。


私はキリスト教徒ではないけど、なんだか新しい経験がしてみたかったし、「普通のAsiaの教会とは違うから、楽しめると思うよ」という友人の言葉を信じてみたのだ。


そんな気持ちで行った初めての教会は、あまりにも強烈な体験になった。

参加者のほとんどが若者だった。
正式に始まる前に、友人が普段一緒に参加している人たちを紹介してくれたのだが、これがまたみんな優しくて、「楽しんでね~」て声をかけてくれる人、たくさん質問を投げかけてくれる人、など普段出会わない人と話す素晴らしい機会だった。

しかし、「教会に来たことはあるの?」という質問には堪えた。
「実はこれが初めての教会で、、、」というと、みんな目を丸くして、「えぇ!そうなの!?」と反応するのだ(笑)
そりゃそうだろう。みんなは毎週教会に通っているキリスト教徒なのだから。


少し温度差を感じていたのだが、始まってからはそれが顕著になった。

「教会」「礼拝」と聞くと、どうしても静かで緊張感のある状況を思い浮かべると思うが、ほぼほぼアーティストのライブのようなかなり新しいタイプの教会だった。(#Planetshakers と検索するとでてきます)
どういういった具合かというと、教会のオリジナルソングがあり、オリジナルバンドがあり、そのバンドの演奏にノッて、歌って飛び跳ねて踊って祈るというものである。

更にそれが終わると、みんな席について主催者の話を聞く。
しかしこれがまたすごくて、みんな自分のタイミングでスタンディングオベーションをしたり歓声をあげたり。
対して、低レベルのリスニング力をフル活用し、言葉に耳を傾けて静かに聞く私。

周りの雰囲気についていけず、戸惑いながら過ごした約2時間。終わったあと、心のざわつきがとまらなかった。


仏教徒だけど、無宗教寄りの私。
宗教というものをここまで大事にしたことがなかったし、宗教にここまで耳を傾けたこともなかったし、そこにいるキリスト教徒の方たちと同じように仏教に向き合っている姿がどうしても想像できなかった。

でも、ひとつひとつの言葉に耳を傾け、感情を表に出して共感する気持ちを表現している私と同年代の人たちは、とっても素敵に見えた。
等身大の自分が何を考え何を思ったのか、全力で表現しているのがうらやましくも感じた。


宗教と私という本来交わらない運命だったものが初めて交わったその日の経験は、たぶん、いや、絶対に、頭から消えることはないんだと思う。





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