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タイで生活するほぼ子さんとの二人旅を振り返って

チェンマイでの楽しい二人旅は終わって、ほぼ子さんと別れた。
今振り返ると、長旅の序盤で二人旅ができたことはいい滑り出しだったと思う。


旅慣れていると思われがちな私だが、意外にもアジアのローカルな食堂は少し躊躇しがちなのである。
お腹を壊したらどうしようとか、そのバケツの水で皿を洗う意味があるのか、とか変なところで潔癖なので躊躇うことが多かった。
ほぼ子さんとの旅は初めてで、私とほぼ子さんは、日本の職場の近くのステーキ屋か焼肉屋かインド料理屋かガストくらいしか行ったことのない関係だったので、彼女の金銭感覚が分からなかったのが、一緒に旅する時の小さな不安要因だったかも知れない。
えらく金持ちの娘だったらどうしよう。
いつも可愛い服着てたしな。
長旅の出だしからオシャレな高めのレストランばかりだったらどうしよう。
一国目で破産する。
そんなことを勝手にちょっと考えて、ほぼ子さんとの1週間のために余分に2万円ほど予算を組むことにしていた。

しかし。

タイですでに10ヶ月暮らしていたほぼ子さんは、屋台やローカルな食堂に臆せず入る。「どこ入ります?こことか良さげ」と言う彼女の心惹かれる店は、全てビニールの屋根や、電気もついていないような半屋外のローカルな食堂なのである。
なるほど。そうか。
私の緊急予算の交際費2万円は無駄に終わった。
感染症対策とか衛生面とかへの不安は消えてなくなっていて、面白そうやん、と私も思えるようになった。
私よりも体が弱そうなほぼ子さんが10ヶ月タイで暮らした感覚で、この店は美味しそうというジャッジは、大丈夫に違いないという信頼に値した。
35バーツ(140円)の定食などを食べ、この後の一人旅での店選びの幅も広がった。

彼女の同僚のカレン族の人に奢ってもらったり、ビルマ家族の誕生日会でご馳走をいただいたり、結果的に、食費は非常に安上がりになった。
ありがとう、本当に。
チェズティンバーデー。

もちろんお肉も食べた。
日本では「肉会」と称してよく2人で肉を食べに行ってはお互いの職場の愚痴をぶちまけまくっていた私たちだっだ。
タイの国境の町でも初回はムーガタというタイの焼肉屋に連れて行ってくれて、再会を祝した。そして互いの職場(私は「前の職場」という表現になる、嬉しい)の変な人の話でも盛り上がった。
「のりまきさんが来たら連れて行きたい店リスト」をせっせと10ヶ月間集めていたというほぼ子さんの店のリストは、到底全てを回れるはずがない数だったが、それでも行った店は全部最高のチョイスだった。

タイのムーガタ(焼肉としゃぶしゃぶの両方ができる)
タイでステーキ
シーツを入れているETポーチから時計回りに
バンコクで買ったポシェット、
ほぼ子さんとお揃いで買ったポーチ2つ、
ほぼ子さんからもらったカレン族のポーチ、
ポン子さんからもらったメキシコ土産の飴ちゃんを入れるポーチ、
ほぼ子さんに夜市で買ってもらったヘアピン2つ。
かなり賑やかになってきたが、
オシャレバランスは完璧。
(トートバッグと紫のサングラスケースは私物。ちなみにサングラス入れずにヘッドライトを入れてる。)



国境の町ではほとんどずっと一緒にいたのだが、夕方まで一緒に色々見て、一回ホテルに帰って着替えて洗濯してシャワーをする時間を2時間ほどもうけてもらっていた。そのため、シャワーを5分で浴び終わる私は、濡れた髪のまま夕方に国境の町のホテル周辺の道を1時間ほど歩き回って土地勘を掴んでいた。
「あの2本の道の右側の道のパン屋さんでパンを買ったよ」「まさかこんな所にたこ焼き屋があるとはね」「あまりに足がカサカサやから、あのスーパーでボディーローション買ってきた」など私が報告しては、ほぼ子さんが「それ私の行きつけの店です!」と笑い、ほぼ子さんの生活圏内を勝手にほぼ網羅している私の行動力に彼女は驚いていた。

国境の町では、いろんな場所に行くたびに彼女の知り合いがいた。
ここで生活をしてるんだなぁと彼女の母親になったかのように感慨深い気持ちになった。

その町で有名なビルマの画家Mという人がいて色んな人の話題に出てくるなと思って聞いていたら、私がインターネットで見かけて素敵な絵だなと思っていた人と同じ人だと判明してびっくりした。
すると、翌日、2人でお茶をしていたら突然Mが現れて、「あの優しい絵を描く人!」と興奮。まさか会えるとは思っていなかったので、絵のことについて本人と話せて嬉しかった。
人懐っこいキャラクターで一瞬で好きになったが、「故郷でクーデターや攻撃があった翌日や過去を思い出した日は、Mは心を痛めて泣くこともよくあるんですよ」とほぼ子さんから聞いて、知り合ったばかりの私も心が痛かった。
またその次の日、ほぼ子さんの職場を見学していたところにも、なぜか突然Mが現れて、「Present for you!」と言ってMが描いた絵のポストカードをカバンから出して私にくれた。前日は持っていなくてあげれなかったから、とニコニコ笑って軽やかに去っていった。
小さい町ではあるが、バイクで30分くらい離れた場所での再会に旅の魔法のようなものを感じた。

Mの描いた絵本
英語、ビルマ語、カレン語なとが並ぶ。

(↑画家MについてのNHKの番組が、ちょうど私がMと出会った日に放送されたらしい。)


ほぼ子さんのいる国境の町で暮らす人の多くはビルマから逃げてきた人だったが、出会う人出会う人がみんな気持ちの良い人だった。
多分、ほぼ子さんと出会って、ほぼ子さんといい関係を築いているからだと思う。
ほぼ子さんがこの町でしている仕事の意味や価値が、ここにあらわれているような気がする。
ほぼ子さんは、紛争で怪我を負い、タイ側へ国境を越えて逃げてくるビルマの人を救う場所で働いている。
「血が流れる場所の最前線での医療」と言ってしまえば、格好いいし、社会的意義が大きいし、事態はその通り深刻だし、ジャーナリストが飛びついて使う表現だと思う。
だけど私は、それが使い古された表現であり、陳腐な表現だなとも思う。
彼女のここでしている業務はリモートでもできることが多いらしいが、彼女がこの町を選んでここで生活をしていること。
生活とは、もちろん仕事もするけれど、買い物に行って、誰かと知り合って、同僚とご飯を食べて、知り合いとお茶をして、その知り合いとも知り合って、顔見知りが増えて、バイクで走って、洗濯をして、ゴミを出して、眠って起きて、あの人元気ないなって心配したり、ほぼ子元気かいと声をかけられたり、明るく挨拶したり。
生活とはそういう日々の積み重ねである。
この場所でほぼ子さんが10ヶ月も腰を据えて頑張って生活していること、出かければ行く先々で知り合いに出くわして、一言二言話すほぼ子さんの姿に、ちょっと感動したりした。
感動という表現も陳腐かもしれないけれど、それが私の正直な思い。

ほぼ子さんとはチェンマイで別れたが、日本人同士ということもあり、照れてしまってハグしてバイバイはできず握手をして別れた。
でも私の心の中ではきつくビッグハグをしたつもり。
あの町の人全てを抱きしめたい気持ちのハグだったことは、伝わっていても伝わっていなくてもいい。
彼女が日々の生活の中でみんなにハグしてくれているはずだと思うから。


ほぼ子さんがホテルの部屋から撮った、散歩に行く私



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