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そんなヒロシに気付かされ 

ジャイサルメールでは通称ヒロシ(本名Firoz、またの名をRK)というインド人旅行者が、それはそれは熱心に私の世話をしてくれた。
インドの洗礼のおかげで吐き下し続ける私の寝ている部屋に、おじややスープを運んでくれたし、「昨日の夜もまた吐いちゃった」と言うと、「なんでそれを昨日の夜に言わないのか。どうして朝まで言わなかったのか。昨晩に医者に連れて行ったのに!」と叱り、朝そのまま私を医者のところまで連れて行ってくれて、薬をもらった。

不思議なことにインドの薬を飲んだ直後から、内臓が元気になっていく感覚があった。これは初めての感覚。
むしろ、即効性があり過ぎて恐ろしいくらいである。
「インドのバクテリアはインドの薬でしか死なない」という本当か嘘か分からないヒロシの言葉も信じられる気持ちであった。
薬は3日分出してもらったが、1回飲んだだけでほぼ吐き気はおさまり、1日で胃腸全てが元通りになった。
それでもヒロシは、まだ油はダメだ、スパイスも控えておこう、と慎重に私の体調を考えてくれていた。その気配りに助けられた。

ヒロシはてっきり宿のスタッフなのだと思っていたら、宿のオーナーの友達で私と同じ宿にやって来ているだけで、ジャイプールでショールや生地を売っているビジネスマンらしかった。
月に一度育った町のジャイサルメールに来て、生地を仕入れたり商談をしたりしているようだった。
宿のスタッフじゃないと知った時に、これはマズイなと正直思った。
厚意に甘え過ぎているなと序盤から思っていたが、なんせ瀕死の状態で出会って、人に頼るしかなかったし、たくさんの人が助けてくれていたから甘え癖がついていた。

そのうち、ヒロシが私の世話をするというのが暗黙の了解のようになっていって、他の宿のスタッフやオーナーが手を引き始めた時に、あぁやっぱりそうなるよね、と思った。
おそらくヒロシは私のことを気に入ってロックオンしたから、みんな、手を出さずに協力してやろうぜモードに入ったのだと思う。
ヒロシには感謝してもしきれないほどだったが、面倒くさいなぁと思い始めた。
しかも、恋愛感情的なものは私の方に1ルピーもない。どちらかというと、無口に淡々と優しくしてくれた従業員のヤシンの方が好みの顔をしていた、それは余談。
ヒロシが宿のスタッフじゃないと気づくのは、私じゃなくても至難の業だったと思う。
宿のキッチンにも勝手に入って料理し始めるし、受付のイスにも座っているし、いつも宿にいるし、「今ホットシャワー使えるから」と知らせてもくれるし(お湯は出る時間帯が日によって違った)、他のゲストの人たちにもジャイサルメールのおすすめレストランなどを教えてあげていた。
そして、私と同じ宿に泊まってすらいないということを、最後の方に知ってビックリした。近くのちょっと高めの宿に泊まって荷物を置いているけど、夜は私の宿の屋上で寝ているらしい。
なんだそれ。
これがインド人の自由なところだなと思う。

宿のオーナーのジェイムスに「ヒロシは君のことをスペシャルらしい。優しさにこたえてあげてほしい。」と言われて、いよいよそう来たかとうんざりした。
私は「ヒロシのことは感謝してるが、ただの友達としか思っていない、日本にパートナーがいる」と言って左の薬指の指輪を見せたが、「ヒロシもそのことは知ってる。だけど、彼はここにはいないだろ。ここにいないのは、存在しないのと同じ。ここに君の一番そばにいるのはヒロシ。それが答えだろ。」ってむちゃくちゃな論法がまた出た。
「私の気持ちはどうなるの?私は、私の気持ちしか大事じゃない。私はヒロシが特別な存在じゃない。それが答え。」とオーナーのジェイムスと言い合いをした。
ここで言い合いをしても仕方ないが。
インドの薬と恋は、どちらもかなり早く効くということを思い知らされた。


ヒロシは実際は、5日目くらいまで何も口説いてこなかったし、一緒に映画に行ったり、砂漠祭りに何人かと一緒に行って楽しんだし、歩くのはしんどいだろうと言ってどこへ行くのもバイクの後ろに乗せてくれた。
お茶する時も常にしゃれたナイスビューなカフェだったし、色んな夕日スポットに毎日バイクで連れて行ってくれて、美しい夕日を見た。
その時も、私とは割と離れた場所にいて、私を1人にしてくれていたし、バイクに乗る時以外は一定の距離を常に保ってくれていた。
この人は何が目当てなんだろう、と時々思うくらい何もしてこなかった。
ヒロシには日本人の男の子の友達がいて、日本にいるその子にテレビ電話をかけて、一緒に楽しく喋ったのだが、日本の彼もヒロシのことを世話になった優しい人として、ヒロシと友達を続けているようだった。
私もこのままヒロシが私にこれ以上何も言ってこなければ、友達関係を続けられるなと思っていた。

しかし。

連絡先を最初に交換していたので、毎朝ヒロシから「おはよう、今日の体調はどう?」というメッセージが届くのだが、何となくハートが増えて、メッセージも凝った内容になっていったし、なんせ私が朝起きて携帯をいじった途端にヒロシからメッセージが届くから怖くなった。
メッセンジャーのオンラインが分かる設定をどうにか変えて分からなくしたかったが難しくて、もう常にオフライン状態を表示するようにした。

「君は僕にとってドリームガールだから、略してDGと呼ぶよ」と言われ、それまでディーピカ(超絶美人なインド人女優)と呼んでいた私の名がDGに変わった。
私がDGになってからは、「今日はどこそこへ一緒に行って、ランチを食べて、夕方はどこそこのサンセットポイントに行って夕日を見るよ」とプランを朝提案されることになった。
私は、頑張って「疲れるから昼は宿に帰りたい、横になりたい、1人で散歩したい」など伝えるようにして、ヒロシも理解してくれたが、伝えるのも面倒くさかったし、1人でいても「DG、今どこにいる?」って頻繁にヒロシからメッセージが来るからしんどかった。
Take my timeと何度伝えたか分からないくらいである。一人でいても一人じゃないしんどさがつきまとった。

胃腸も完璧に戻り、カレーも食べられるようになった頃、ヒロシが、ヒロシの友達の宿のキッチンを借りて、手作りのカレーを振る舞ってくれることになった。
「DGのために新鮮なものだけで料理を作ってあげたい」と言って、友達が用意してくれていた鶏肉を使わず、鶏屋に行って新鮮な肉を買い、好きな野菜を聞かれたので、玉ねぎとじゃがいもだと伝えると、チキンと玉ねぎとじゃがいもを使ったカレーにしてくれた。
油とニンニクで玉ねぎを炒め、茹でたじゃがいも、トマトとスパイスと水で煮込み、鶏肉を入れてまた煮込んだカレーは、むちゃくちゃ私好みのカレーになっていて、危うく弱り切った胃袋をグイッと掴まれたかと思うくらい、美味しかった。
作る工程は全て見ていたので日本に帰ったら同じように作ろうと思う。

3人でカレーを食べながら、「お腹も治ったみたいだし、DG、一緒にビールを飲もう」とヒロシに誘われたのだが、即座に断った。
「DGのためにビールも買ってあるのにどうして?」と理由を聞かれたので、「旅先で男と2人きりでアルコールは飲まないようにしているから。帰れなくなったら困るし、恋愛感情があれば別だけど、あなたに対してはないから飲まない。」とこれ以上ハッキリというものがないくらいハッキリ伝えた。今は2人きりじゃない3人だと言われたが、それでも一緒だときっぱり断った。
すると、
「それに、僕にはラブがある。君にもある。君が知らないだけ。」というまたもや訳のわからない論法がきた。
「私は、私の気持ちを分かっている。ラブはない。ネバー!」とそれはそれは強く言ったのだが、ヒロシはやめない。
「君はまだ知らないだけ。アッラーは分かってる。」とらちのあかない話になったので、「この話はやめてほしい。非常にUncomfortableです。カレーを楽しく食べたい。」
と言ったらヒロシはそれ以上話すのはやめてくれた。
それから、ヒロシの友達が手相を見れると言って私の手を見て「あなたはお金は入っても全部出ていく人生だ」と言われて苦笑した。絶対外れてほしい。

ヒロシは基本的にいいやつなので、私の嫌がることはしないと約束してくれていたし、「親切にしたいからしているだけだが、不快に感じることや無理強いすることは絶対にしない」とメッセージをくれていたので、不快と言ったから、この夜はそれで終わった。
さすがに翌日は気まずいかと思ったら、ヒロシは普通にバイクで私が行きたかった場所へ連れて行ってくれた。
好意を知った上でこんなに甘えるのはあかんよなぁと罪悪感が生まれていったが、ヒロシは「これが自分のしたいことだから遠慮はやめてくれ」と言って聞かなかった。

次の日の夜は、ヒロシも含めて宿のみんなで屋上でビールを飲むことになった。
私は宿の中で安全に自分の寝床に帰れる状況で男と2人きりではない場合は、めちゃくちゃビールを飲むことにしているので、めちゃくちゃ飲んだ。
久しぶりのアルコール解禁。
久しぶりのビールは美味しすぎたのだが、オーナーのジェイムスが「ヒロシとなぜ付き合わない?」としつこく絡んできて腹が立った。
「お前の頭の中はラブしかないんか」と思ったら「そうだ、それ以上に大切なものは何がある?」と言われた。
30歳年上のフランス人女性客とジェイムスは最近付き合い始めたと言うので、面倒くさい人たちだなぁと、さっさとその場から部屋に退散した。
ヒロシから「ジェイムスが嫌な思いをさせてごめん。だけど、DGのためなら僕は残りの人生をかけてDGに尽くす。だから君が欲しい。アッラーもそれを望んでいる。」という熱烈なメッセージがきた。

これだから嫌なのよ。

アルコールの入った男の言う言葉なんて、何も信じる価値はないと常日頃から思っているので、「眠いので寝ます。おやすみー」とだけ返事して電源を切って寝た。

これ以上面倒はごめんだし、そろそろ去るべきだと思い、翌日は宿の旅仲間5人とジープを借りて砂漠に行って(運転はなぜかヒロシ。いつの間にかそうなってた。)楽しみ、その翌日にジョードプルへ移るバスに乗ることにした。

最後の日の夜は、砂漠祭りの終わる日でもあり、他の旅仲間も翌朝に別の町へ移る人ばかりだったので、宿のみんなでパーティーをした。
ヒロシが「人生最悪な夜だ」と言ってめそめそ泣いていたが、あまり関わらずにそっとしておいた。
顔がタイプだったヤシンに私は全く相手にされず、常にそっけなくされていたが、ヒロシはなぜここまでドラマチックな恋をしている風なのだろうと不思議で仕方なかった。

翌朝。
いつもいるヒロシがいなかった。

午前中にはバスで私は去ると伝えていたのだがいない。朝のおはようメッセージもない。
「ヒロシ、今どこにいるの?ありがとうとさよならを最後に直接伝えたかったのだけど。ありがとうねー。」とメッセージを送ると「ありがとうもサヨナラも要らない、また会おうという言葉が欲しい。いや君が欲しい。」という返事がきて、ああ、やっぱり面倒くさいなと思った。
ヒロシのことは放っておいてさっさとバスに乗れば良かった。
そしてすぐにヒロシはやって来て、バス停までバイクで送ってくれた。焦らし作戦だったのだろうか。
最後に、
「離れ離れになるけど、それは僕たちのチャンスでもある。DGが今後色んな男に出会うたびにきっと僕を思い出す。その時に君は知ることになる。僕への愛に気づく。そして僕の元に戻ってくる。だからサヨナラはいらない。」
なんてイケメンみたいな自信満々なセリフを言うのだろう、ヒロシ。
その姿勢を見習いたいと心から思った。

別れてからのヒロシはそっけなくて、しばらく音沙汰はなかった代わりに、あんなにつれなかったイケメンのヤシンが、私に熱烈なラブメールを送ってきた。
訳がわからない。
とりあえずキスを飛ばす絵文字をヤシンへの返事として私から送ってはいるが、それ以上の意味はない。

かと思えばヒロシからやはりまた頻繁にメッセージが来て、返事しなかったら、「無視してくれてありがとう。なぜ無視する?」攻撃を連発で受けて、とても疲れた。

「無視してるんじゃなくて、私は私の旅を楽しんでる。
私の時間を楽しんでる。
私は私の時間を愛してる。
理解してくれてありがとう。」

という英語のメッセージを、私の指がそれはそれはスラスラと打ち込んでいった時に気付いた。
ああ、そうなのだ。
私は、何よりも私の時間を愛しているのだと分かった。
気付かせてくれたアッラーに感謝したい。

ジャイサルメールでは、ほとんど私の足で歩けていないし、私の時間じゃなかった。
胃腸が元気になって、やっと本当の自分が戻って来たし、やっと自分の時間が戻ってきた気がする。
人のペースに飲まれすぎる時間は、あまり長いと疲れる。
好きでもないのに、特定の男と長くいすぎるとろくなことがない。分かっていたのに、私のミスだ。
私らしくなかった。


ジャイサルメールのどこにどう行ったのか、近辺の短時間の散歩でしか自分の足で歩いておらず、それ以外は簡単にバイクで連れて行ってもらい後ろに乗っていただけだったから、自分の旅した場所を全然理解できていない。
常に受け身でいたから、あまり記憶には残らない気がしている。
ヒロシの連れて行ってくれた場所はどこもナイスビューで、ロマンティックな場所ばかりで、どこも素晴らしかった。
その土地に詳しい人に案内されたり、しっかりしている人に任せて世話を焼かれるのは本当に楽だけれど、私はそういう旅をしたくないし、そういう生き方をしたくなかった。

こんなのは私の旅ではなかった。

そういうのが楽しい人は、そうすればいいけれど、私は楽しくない。
ヒロシが悪い訳じゃない。
隙を与えてしまったのは私だし、甘えすぎていたのはいけなかった。
ヒロシにはよくしてもらったことは感謝している。ただそれだけ。

もう46歳にもなろうかと言うのに、まだまだ女の一人旅には、こういう難しさがあるのだと痛感させられた。
かなりハッキリと時にはかなり冷たく物を言う私ですら、これだけ巻き込まれるのだから、インド人男性は相当手強いから甘く見ちゃいけない。
若い女性は本当に気をつけてほしいなと願う。
ヒロシは私に何度も「Old is Gold.」だと言った。その言葉は好きではある。
ゴールデンシティでゴールドな女と思われてしまった元ドリームガールは、「Gone is Gone.」の精神で、前に進んで、私の旅を取り戻すことにした。
とても気持ちよく、深呼吸しながら自分の足で歩く。
次の町のジョードプルは、とても自由で、私の時間を愛せたので、とてもいい時間だった。




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