成長や目標から距離をおく
このところ、自分を甘やかすだの、生産性・効率に背を向けるだのと、成長や自己実現を目指す意識の高い人々から眉を顰められそうなことばかり書いてきた。
そして今日は遂に、成長や目標達成からも距離をおくことを宣言しようと思う。
生産しなければならない、
成長しなければならない、
目標を立て進捗を管理し、
着実に達成しなければならない…
そういった風潮には違和感を覚えるのだ。
限られた時間、無駄なことをやっている場合ではない。ライフハックを取り入れ、タスクは素早く効率的に。チャレンジしなければ…貪欲に学ばねば…さもないと成長できず、人生の落伍者になるとでもいうように。
もちろん、楽しければ是非どんどんやったらよろしい。
しかし、違和感を覚えるのは「成長するために」という言説。成長するため?
成長は目的なのか、目的たり得るのか?
私は別に反成長論者ではなく、経済成長も必要と考えているけれど、それは人々の幸福に資するひとつの要素だからであって、成長が目的化すると、逆に人を蝕む方向に行きかねないとも思う。
たとえば音楽において。
実現したい演奏上の表現があり、そのためには現在の自分の力量が足りないとする。
そのギャップに挫けず研鑽し、鍛錬して理想のイメージに少しでも近づけたとする。
それは「目標立てて努力し成長した」という事象に、似ているけれど少し違う。ありたい理想に身を捧げ、誠実に瞬間を積み重ねた結果、振り返ればそこに成長を見出せることがあるだけだ。
そして成功しなかったとしても、それは他に替えられない「経験」である。役に立つか否かに関係なく「ただそのためだけのことをする」。その純粋な意思と行為の結晶だ。
まぁ、どっちでもいい話かもしれない。
成長し目標を達成した時の充実感、自己効力感はやはり素晴らしいし。
ただ、成長が目的化すると幸福サイクルはどこかで行き詰まる。
あくまで人生の喜びと結びついた何かの営みの、結果としての成長でないと。
星に手を伸ばし、飛び続けるのではなく。
深みへと潜り、水底に隠された宝をそっと掬い上げる。
私は、そんなふうに生きたいと思う。
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