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はまざ長女と蘭の花

あのとき、なぜ、義母はその言葉を繰り返したのだろう。
長女が2歳のころ、お盆に夫の実家に帰省したおりのこと。
少し物がわかるようになった長女のことを
義母が「この子は育てにくい」と何度か私に言った。
義母の真意はわからなかった。

長女には食物アレルギーがあり、そのころは卵と牛乳、大豆がダメだった。
加えて、私の知らないところで、義母を困らせていたのかもしれない。
なかなか笑わなかったり、こだわりが強かったり。

だが、私にとって長女は初めての子どもで、
ほかの子どものことは知らない。
アレルギーがあるから食事のことは工夫が必要だったが、
だからと言って、
そのときまで「育てやすい」とか「育てにくい」とかという
とらえ方をしたことはなかった。

そして、ちょうど私には当時生後3か月の長男がいて、
精神的にもやや不安定だったこともあり、
「この子は育てにくい」という言葉を聞くたび、
母親としての自分を
なんだか責められているような気持ちになっていた。

1週間の滞在の後、帰京するときに義母は言った。
「この子は育てにくい」
「けどたいせつに育てたら、かならず見事な花を咲かせると思う」
「この子は蘭の花じゃ」

その言葉を聞いても義母の気持ちをどう推し量ってよいか、
わからないままだった。
「育てにくい」というのは、私へのいたわり、なぐさめの言葉だったのか。

私が次男の出産を2か月後に控えていた数年後の初夏、義母は他界した。

長女を育てにくいと思ったことは一度もない。
むしろ想像力も創造力も豊かで楽しかったし、
私の知らないうちにいろいろなことを知っていて驚いた。
一生懸命に頑張ろうとする姿にはこちらが励まされた。
一緒にいた時間は今もかけがえのないものだ。
大きな病気に二度かかったが、幸い後遺症はなかった。
反抗期もなかったし、ずっと素直でやさしい。

けれど、まだきっと彼女にとっては道半ばなのだろう。

「この子は蘭の花」
義母の言葉を節目、節目で思い出しながら、
なおいっそう見事な花を咲かせるとずっと信じている。

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