見出し画像

「DX格差社会」がやってくる

【ジャーナリズムは「怖がらせて稼ぐ」という面がある】
基本、ジャーナリズムは多くの人に「今は見えないけど、こんなことがあるんですよ」と、怖がらせて、ニュースを読む・見る人を増やし、商売にしている。報道機関といえども「商売」なので「売れるニュース」しか、ニュースにはならないから、これは「そういうものだ」と考えるしかない。いや、脅してるわけじゃないよ、この話はね。

【「DX」は最も怖い】
いま、世界で起きているのは、というよりも、現在世界で起こりつつあるのは、あらゆる人間の組織や社会の「DX化」だ。要するにデジタルと通信で世界を覆ってしまうので、それでカバーできない地域や人や組織は、世界から置いて行かれる、ということだ。なにをそんな大げさな、と思うかも知れないが、実際にそれは起きている。だからこそ、日本の政府の突然の「デジタル庁」の創設となったのだろうし、この危機感を共有する人物こそ「デジタル庁」の役職にふさわしいだろう。

【デジタル以外は出入り禁止】
既に、米合衆国政府は、政府機関との付き合いのある法律機関は全てデジタル化していないと、出入り禁止となっている。ということは、米国政府と今後ともお付き合いをしたい世界の国の政府機関はデジタル化できていないといけなくなる、ということになる。デジタル化できていないところは「仲間はずれ」になる、ということだ。具体的には「デジタル・フォレンジック」のシステムを入れていない法律事務所などは米合衆国政府の仕事が直接的にはできない。

【デジタル・フォレンジック(Digital Forensics)とはなにか】
「デジタル・フォレンジック」とは、あらゆる組織内で発生する文書を、その発生から改変に至るまで、各自が使うPCにインターネットなどで接続されたクラウドのサーバー上に一字一句、そして文書の改変の時間、改変の責任者、実際の実行者等の全ての付帯情報も含めて、ためておき、必要なときにすぐに最終的な文書ができた経緯を追えるようにしてあるシステムのことだ。このシステムがあることによって、過去のいつの時点に遡っても、そのときの文書を第三者が再現できる。また、改変などの経緯などもあからさまに、一瞬にしてわかる。「公平で透明な」文書管理が可能になる。その文書を巡って裁判になったとき、誰に責任があるかも瞬時に明確になる。それを実現するシステムが「デジタル・フォレンジック」だ。その公平性、透明性、迅速性が、国などの政府組織の「誰もが認める組織の権威」を作る。(今更、鉛筆は使わないだろうが)鉛筆一本の購入まで、全てが「第三者が検証できるデータ」になる。既に米国政府公認、という肩書を持ったデジタル・フォレンジックのシステムを作った会社が、日本にも数年前から上陸してきている。

【DX格差社会がやってくる】
コロナのこの最中でも、日本の組織のデジタル化は進んでいる。コロナによって、リアルな対面ではないリモートワークもインターネットを使って当たり前に増えてきた。一方で、デジタル化が全く進まない業界もある。そういう業界でも、せめてホワイトカラー職種はデジタル化を進めないと「DX格差社会」の底辺をウロウロしなければならないことになる。そういうDX底辺組織は消えていく運命に晒される。明らかに、これは「米合衆国政府が」という話ではなく、世界的な「社会の透明性」を求める動きの1つである。「DXは組織の問題ではなく社会の問題」となったのだ。

【人間社会のデジタル化が始まった】
この人間社会のデジタル化は、羅列すると、以下のキーワードがある。

1.スマートシティ構想
2.ネット選挙による直接民主制への要望
3.RPA(Robotic Process Automation)推進
4.ESG投資とSDG's推進
5.GIGAスクール構想
6.デジタル庁

一覧して、この最新のキーワードのどれもこれもが「デジタル化」か「デジタル化による変化」ばかりであることがわかるだろう。人間の社会そのものが「デジタル化」の方向に向かっている。

【変化はなぜ起きたか?】
この「人間社会の全てのデジタル化」は、インターネットによって空間的にも、社会概念的にも、全く違う社会を持つ人々がそれぞれの社会の「権威」というものを軽々と超えて、お互いに交わることが多くなり、お互いの理解が必要であることを認識するに至ったため、お互いに自分自身を、これまで相手にしなくてよかった人たちに向かって「説明」して理解してもらうことが重要になった、ということだろう、と、私は思っている。遠く離れた人どうしが、同じ地球上の社会に生きて、同じ価値観を共有しなければならなくなったため、お互いの「説明責任」が生じる社会になったのだろう。

【和菓子屋さんとインドカレー屋さん?】
これまでは商店街の和菓子屋さんとインドカレー屋さんは全く関係なかったが、この2者がコラボレーションする、なんてのは、今や不思議では無くなった。地域の人たちの持つ「お金」は限られるため、それをいかに気持ちよく払ってもらうか?に頭をひねれば「カレーの口直しに大福を」みたいなキャンペーンも、おかしくない社会になった(いや、かなりお菓子いかも知れないが)、ということだ。なぜならば、どちらも「商売」である以上その求める目的は「お金」である。であれば、それぞれが別々に商売してお金を得るよりも、一緒にやったほうがより多くのお金を得る効率が高い、ということになれば「そうする」わけだから。

【かくして「DX」格差が生まれる】
地球上の人間社会を覆っていく「DX」は、その変化についていける人と、ついていけない人の劇的な格差を作っていく。「DXからの仲間はずれ」はその組織の死をさえ、意味する。そういう大きな変化が訪れている。

「え?日本のDX化が遅れてるって?だったら、日本全体で沈没するしかないんだろうなぁ」

という時代になったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?