見出し画像

「仕事」と「AI」そして「研究」

【なんだかわからないから研究する】
「研究」という営みは「それがなんだかわからない」「役に立つものであるかどうかもわからない」から「研究」するんだよね。つまりお金をかけ、時間をかけて研究して「あ、そういうことか」とわかると、役に立たないものだ、と、わかる、ってことだってあるんだよ。それも「研究の成果」でね。

【生成AIで驚いた人たち】
なぜいま、こういうことが問題になる、あるいは問題意識として一項目にあげられるのかと言えば、AIの適用範囲の広域化、言い換えればポピュリズムとしてのAIの認知が広まったからなんでしょうね。生成AIが発表されてビックらこいた「知らなかった人たち」が、突然多くなったからなんだろうね。

【「正解がないもの」は世の中にあるものさ】
生成AIは「世の中には正解が必ずある」というアタマで生きてきた人の仕事を奪うからだな。言い換えれば「正解が必ずある仕事はAIに奪われて、その仕事では生きていけなくなる」ことが、やっと、ここに来て分かったからなんでしょうね。

【「食うために」バカになることがある】
悪く言えば「バカ」なんだが、意図してバカになったのではない場合は多くて、バカにならなければ=機械になりきらなければ、できない仕事、ってあるんだな。たとえば、工場の工員さんはそうでしょ。それでも、今までは人の大切な仕事であって、その仕事の多くの場合はバカになりきらないと仕事として成立しないし、給料も出せないし、もらえない。

【人の仕事とAIの仕事の境界線】
要するに生成AIの時代とは「人のやるべき仕事と機械がやるべき仕事の境界線が大きく動く時代」とも言えるんだよな。今後は、仕事を選ぶとき、なんの仕事をすべきかというと、(1)人がしないとできない仕事、(2)正解がない仕事、ってことだな。

【正解がある仕事でも正解が見えないこともあるから】
(1)の仕事は結構あって、例えば工場の生産ラインの仕事では、工具が壊れたときの対処とかだね。機械は壊れるからね。だから、工場労働の仕事では、ラインの仕事の100%を機械にしないで、同じ仕事を人間がやる、ということも、無駄なように見えて、しておいた方がいいわけだな。事故などの例外発生時に、どうしても人間が対処しないといけないところは、全体から見れば、あるからだね。AIが例外の自己修復をするにしても、その「経験」は、人間が入力してはじめてできるからだね。AIは教えないと思う通りには動かないからね。

【工場の例】
工場のラインで、穴あけドリルが磨耗して、穴あけの時間がかかるようになったら、新しいドリルビット(ドリルの先端)と交換するということが発生するだろ。そのとき、工場内のどこにもドリルビットの替えが置いていない場合は、どこかに連絡して持ってくる、あるいは買えばいいのか?その買う方法は?買ってきたらそれを開封して、ドリルを止めてチャックに装着、ちゃんと装着ができたかをどうやって確かめるか(工場内のどこからか端材を調達して試し穴あけする)、とか、いろいろある。そんなときも、最初の一回は人間がやって、それをAIに学習させないといけないし、その学習させた結果も、さらに次の問題が発生して、ということも多いよね。いつもお願いしているドリルビットを購入している会社が倒産したから、別の会社から購入しなければいけないとかね。その都度学習は必要になるけど、それをAIに教えれば、人間の仕事は減っていくけど、なくならない、ってことだな。人間の仕事は、それを新人の工員さんに仕事の手順を教えるようにAIに教える、というような仕事になっていくんだね。これが「人の仕事と機械の仕事の境界線がずれていくこと」なんだな。

【研究という仕事】
でね、(2)の仕事の代表例が「研究」なんだろうね、ってことね。別に看板に「研究」って書いてなくても、研究のような仕事は多いよ。何がなんだかわからないけど、面白そうだと思うからやる、追求する、って言う仕事ね。で、やっていくうちに、新しい収入の道が見えたり、あるいは見えなくて諦めたりね。後者の場合は多いんだけど、宝くじだって、買わなきゃ当たらないわけでね。でも、そういう「非効率な仕事」こそ、人間の仕事として、このAIの時代に残るんだと、ぼくは思うんだね。若い人、これから仕事を選ぶのであれば「正解のない仕事」をこれからやろうね、ってことだね。

【選ばない方がいいけど…】
「仕事には正解がある」と思っている人の仕事は、これからAIに置き換えられていくよ、仕事がなくなるよ、そういう仕事を選ばないほうがいいよ、ってことだね。ぼくはそう思うけど。それは結果だけ見ればギャンブルみたいな仕事にならざるを得ないんだけどね。

【「正解がある仕事」を選ばざるを得ないとき】
正解がある仕事を、今このとき生きるために選ばざるを得ない場合だってあるだろうけど、そういうときは「これはそういう仕事なんだ」と思ってやっていて、この文章の前の項目に戻るけど、それは(1)の仕事なんだ、と、意識していればいいよ。

【自分の仕事は「正解がある仕事」か「正解がない仕事」か】
そしてね、(1)の仕事をやってる自覚がある人は、(2)の仕事をやっている人とは、社会での役割が違うのだから、(2)の仕事をしている人の邪魔は、しないようにね。これは、逆もあって、(2)の仕事をしている人は(1)の仕事をしている人の邪魔したらだめだよ。お互いの立場をわかっての交流はもちろん、お互いの刺激になっていいんだけどね。お互いのマウント取り、嫉妬、妨害なんて、もっての他なのはわかるよね。「どんな仕事にも貴賎の区別はない」って言うのは、実はそういうことだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?