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お酒とタバコ

【「大人の世界」を象徴するタバコは昔から無縁】
タバコはやってみたいと思ったことがない。ぼくの世代では、普通は「大人っぽい(早く大人になりたい願望が多くの子供にあった)」ので、大人の真似して、で、喫煙を始めた人が多かった。が、その願望そのものが、自分にとってはどうでもいいことだった。今から思えば、大人の世界というものがあって、ということより、目の前に面白いものがたくさんあったから、それに食いついているうちに大人になった感じだから、大人の世界に入るとか、そんなことは考えたこともなかった。

【お酒は飲めなくなった】
お酒は8年前の病気以来、ピタッとやめて、それっきりだ。お酒は社会人になってからで、もともとすごく弱かった。自分で会社を始めたときに、お客様と飲まなければならないことが多かったので飲めるようになっただけで、好きでもないし、飲んだからってどうということもなかった。最近は毎月一回、サイゼでワイン一杯、という程度だが、飲む度に後悔する。もともと、飲酒への憧れはなく、飲酒が好きでもなく、ちょっと酔うとすぐに眠くなり、たくさん一気に飲むとそのまま救急車を呼んだことも数知れない。語り合いは好きだが、飲酒が一緒になると、すぐにバッタリ倒れるので、すぐに場が白ける。結果として、なるべく飲まないようにしないと、周囲にも迷惑がかかるので、自然と飲まなくなる。最近はノンアルコール飲料も普通にあるので、どうしても飲酒が必要な場合はそれにする。

【タバコと酒で群れることがない。人嫌いではない】
まぁ、結果として「群れる」文化とは無縁で、ここまできた感じがする。それの良し悪しはあるんだろうが、全く気にしていない。思うに集中力だけは人一倍どころか数倍はあるようで、コーヒーショップでPCをひらいて仕事を始めると、全く違う雰囲気になるらしく、周囲の人はどんどんいなくなり、気がつけばコーヒーも冷め、冷たい飲み物であれば、氷も知らないうちに全部なくなっている。周囲が全く気にならなくなる、というレベルではなく、自分がやっていること以外は、耳も聞こえず、イヤホンで聞いている音楽も聞こえなくなるのは、自覚がある。

【常にトランス状態?】
いつだったか、仕事の同僚に「誰かぼくのやっていること、やってくれないかなぁ」と言ったら「あなたの仕事ぶりを見たら、誰もやろうと思わない」と言われて、あまりに意外な答えに驚いたことがあった。自分では自覚はそのときはなかったものの、そんなものかいな、くらいにしか思わなかった。自分の集中というのはほとんど病気のようなものらしいんだな。

よく言われる「トランス状態」にすぐに、かつ日常的に、なっちゃうらしいんだな。だから、喋り始めるとそれに集中して止まらなくなったりする。喋りが終わると、どっと疲れが出るのがわかるので、やっと最近は、ほどほど、というのがわかるようになってきた。何事も始めると、それが終わるまで、全力集中するので、かかった時間が全く意識できなくなる。

結果として「群れる仲間」はいない。基本は一人でやる、というようになってしまうんだね。

【過程が大事。結果はあれば嬉しいけど】
しかし、やり遂げれば、できたものに全く執着がないので、できたものを捨てるのもすぐにできてしまう。自分にとっては、それをやっているときが至福以上の完全に集中した充実の時間であるので、それが終われば、結果はあまり大したことだと思えない、ってことがあるんでしょうね。だから、いくら成果が上がっても、それをこき下ろすのも、それがダメだとなれば全く躊躇しない。

だから「生きるということは結果ではなく、過程だ」というのはすごく納得している。身体の奥底から納得だ。

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