西暦3000年頃に書かれた記事?
【現代の「公教育」、過去の公教育】
西暦2000年代中盤までの学校、特に公教育(公教育というものがあったのだ!)のほとんどの場では、第二次世界大戦という大量破壊後の復興需要に対応すべく、大量にモノや食料を作り、社会に溢れさせることが社会の目的とされた。
【価値観の変遷】
人々の価値観もそれに沿っているものとなった。加えて、現代のように、安価で速く正確なデジタル技術はない時代なので、人間がロボットになって生産を行うのが当たり前の時代でもあった。その方が生産原価が安かったのだ。子供も「生産人員予備役」としての教育を画一的にされており、そのためには子供を地域的に一ヶ所に集め同一の教育を施すことが普通だった。
【デジタル産業革命の始まり】
しかし、デジタル化による第二次産業革命により、この流れが変わり、社会的なコンセンサスや同意、共通の価値観、同一の生産のための技能を子供に付ける役目はデジタル・インフラが学校という「箱」に代わって負う時代に変わった。そのため、ときの為政者が地域の経済的隆盛を作る礎として作った地域的な子供の教育を行う「箱」であった「学校」はその役目を終えた。
【過渡期における子供の社会不適応問題】
この従来の「学校」の役目が終わる過渡期にあって、子供の個性やメンタリティの学校への不適合が大きな問題となった時期があったが、それは子供が学校という制度に不適合を起こすことが問題だったのではなく、社会の大きな流れに学校という制度がついていけないことが問題であったのだ、と多くの人に認識されると、地域の箱としての「学校」の多くが廃墟となった。
という未来になるんでしょうね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?