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朝日新聞の連載「ヤジディ教徒の悲劇」が残念だった件


 最近、朝日新聞朝刊で「ヤジディ教徒の悲劇」という不定期連載をやっているのを目にしました。本邦メディアにしては珍しい連載なので感じたことなどを書いてみようと思います。

まず本邦メディアが使う「ヤジディ教徒」ですが、「ヤジディ教」という宗教はなく、「ヤジディ」に「教徒」の意味も含まれています。そして、正しくは「エジーディ(クルド語:Êzidî)と言います。アサドのルーツであるアラウィーが「アラウィー派」と日本語で呼ばれているので、「ヤジディ派」とかがいい気がします。

細かい話はさておき、日本の新聞でもこういう取材をするのかと感銘を受け、当初は毎回楽しみにしていました。ただ、イスラム国の被害者からこんな酷い話を聞いたという内容ばかりが続き、トルコとイスラム国の関係やスンニのクルド人によるエジーディへの差別などに切り込むこともなく期待外れに終わりました。特に第3回では、身代金目当てに誘拐された子どもたちがトルコ国内にいたことが明かされますが、ではなぜイスラム国の残党がトルコで活動できているのかという重要な点には触れられていません。エジーディの悲劇発生からもう9年となる中で、なぜ今この連載をやるのかという意味に乏しい内容だったと思います。

そして、今回筆を執るに至らしめたのが、第4回の「IS駆逐後も居座ったPKK」との記事です。まず、記事中の「シンジャル」はアラビア語表記で、正しくは「シェンガル(Şengal)」です。せめて「シンジャル(シェンガル)」などとしてほしいです。はっきりさせておきたいのが、PKKがシェンガルに駆けつけなければ、この地域のエジーディが全滅していた可能性があったことです。イスラム国の襲撃時、エジーディは山に避難したと報じられていましたが、実は山に避難した彼らをイスラム国から守ったのがPKKだったのです。当時、クルド部隊のペシュメルガはエジーディを見捨て、さっさとこの地域から撤退していました。「PKKが居座った」と書いていますが、イスラム国が消滅したとはいえエジーディに対する差別、暴力の危険がなくなったわけではありません。タル・アファルなど近郊の町にはイラン傘下の民兵が進出しており、その暴力から身を守るためにも自衛力の強化は喫緊の課題でした。PKKは自派の勢力拡大の目的もあったとはいえ、エジーディの自衛力強化のため彼らを訓練し新たな自衛部隊「シェンガル抵抗隊/シェンガル女性隊」の結成を助けました。エジーディの中にも、見捨てられた自分たちを助けてくれた勢力としてPKKに感謝する人たちは少なくありません。

スレイマニで出会ったエジーディの少年たち

この記事を書いた記者がどれだけシェンガルで取材を重ねたのかはしりませんが、「居座っている」という見方が大多数なのか疑問があります。そもそもPKKが「居座っている」というならば、なぜそれが可能なのか、それへの問いがないのが何より残念です。伝統的なエジーディの社会は、宗教指導者と封建領主を軸にするカースト制度とも言うべき身分社会があります。結成以来、部族主義打倒を掲げてきたPKKは、そうしたエジーディの身分制度の打破を目指してきました。それゆえ、出自によりPKKへの見方もかなり変わってきます。

また、シェンガルが「各勢力の草刈り場」と表現しているのも引っかかりしました。エジーディの主体性を無視し、ただ武装集団に翻弄されるだけの存在と描くのは、あまりにも彼らを愚弄していると言わざるを得ません。何より、PKKの存在を口実にしたトルコの空爆に触れ、PKKの存在が紛争を招いているとしたのには開いた口が塞がりませんでした。トルコの御用メディアの記事を読んでいるのかと錯覚するほどでした。そもそも現在、PKKとしてはシェンガルに大きなプレゼンスがあるわけではありません。トルコの攻撃は国内のトルコ至上主義者向けのパフォーマンスで、イラク政府側のとの衝突は自治をめぐる紛争によるものですが、攻撃側の事情には踏み込もうとしません。PKKはトルコがテロ組織に指定しアメリカもそれに追随しているから、紛争の原因に違いないという思考停止が見てとれます。


朝日新聞は以前もナゴルノ・カラバフに関する現地取材記事を連載していましたが、内容を一言でまとめるとアゼルバイジャン側のプロパガンダとも言うべきものでした。不偏不党を心掛けるつもりが結果的に一方の言い分を陳列するだけになるという、同様の問題があったように思えます。この連載は、アゼルバイジャン側から取材したものでした。邪推ですが、恐らく事前に取材対象をめぐる文献や論文を読み込んでいないので、取材対象者の話に簡単に取り込まれてしまうのだと思います。

とにかく、こうした記事が英文で配信されていないようなのが、せめてもの救いでした。


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