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この世のしくみを知りたい、と思っています。実感覚を通して、この世界をまるっとわかることを提供することを試み、この世界と人間意識の重なりを探求中です。 プライベート活動:アカシックリーダ https://noriepi.tumblr.com/

最近の記事

神社紀行 <三石神社> 銀世界の磐座。青空に背中を押されて…。

3月21日、春のお彼岸。 福島県只見町にある三石神社に行ってきました。 新潟は、曇天の予報だったけれど、青空が見えます。 西会津ICで高速を降りると、 除雪された道路脇の雪はどんどんと高くなり、 ポツポツと降り始めた雨は、やがてどしゃぶりとなりました。 傘を差していくしかないな。とポツリと心の中で呟く。 それだけで、不思議と雨脚の強さと積雪に懸念を抱くことはなかったのです。 三石神社の標識に従い、国道から右へ曲がると雪壁で行き止まりでした。 この冬は、東北北陸は豪雪

    • 陽炎の宴

      花吹雪  梵鐘は鳴り響く。かすかに漂ってくる潮の匂いに活気づく町は、 袴やブーツ姿の男たち、ラムネを手にした子どもたちが行き交う。 時は1885年、異国情緒溢れる長崎のお寺でのこと。  桜散る夕暮れ、境内では成仏できずにいる死者の僧らがたわいの ない話をしている。「今日は、妙にあたたかで気持ちが良いなぁ」 「墓守よ、何を言う」地面に散った花びらの片付けを気に病むタケ は、声を尖らせる。その隣で「ウメ、あの甲高い鳴き声は何の鳥だ ?」「マツ、あれはヴァイオリンの音色ですよ」。最

      • からだのこと。ひいては自分というもの。 その7

        ~ ロルフィング®️を通して ~ からだの表現してくるものに変化がでてきた。 どんどん表出してくる感情の波だけではなく、 心の奥でキラキラしているものの存在も増してくる。 よろこび。うきうき感。 そして、 主体的に取り組むことへの気持ちがむくむく湧き出てくる。 実動したい。 ひとつ縁が切れた仕事と入れ替わるようにして新しい仕事が決まる。 からだと現実の連動。 ここ一週間で様々なことは、めくりめく回転していった。 セッション前は、激しい感情や感覚の渦にどっと飲まれること

        • 瞑想の起源

          ふと、そもそも瞑想ってどこから始まったのかな?と。 ネットで調べてみる。 インドの僧たちからというもの。辿れるのはそこかららしい。 随分と最近の話なんだなぁ~と。 自分の体験の感覚からだと、もっと古いはず。 なぜって、瞑想意識ってある意味「特別」なことではないから。 こういうと、えっ?!と思う人もいるかもしれない、 現在は、「瞑想」を「日常」とは離れて枠の外のもの。 という切り口で取り出して扱っているともいえる。 瞑想時の脳波は、アルファ波(α波)・シータ波(θ波)とも

        神社紀行 <三石神社> 銀世界の磐座。青空に背中を押されて…。

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その6

          ~ ロルフィング®️を通して ~ 小満の頃から、空気中にじわじわと水の重みが増してくる。 ここ数日の朝は、からだも気持ちもどこか重い。 これがこの時期の気候によるからだの感覚なんだなと思う。 数年ほど前から、からだのリズムに目を向けることが始まった。 当時は、体のバイオリズムに沿って、今年は二十四節気の暦に沿って。 徐々に自分のサイクルが姿を現し始める。 この意識を続けていくと、その時の心身の状態が映し出す世界のソトの部分も見えてくる。 それだけで、自分で自分を染めている

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その6

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その5

          ~ ロルフィング®️を通して ~ 3月8日。 楠美 奈生さんの単発セッションを受けた。 当日は、霧雨が降る肌寒い春の一日。 歩いていると芽吹き始めた草花の黄色や白、新緑が目にたのしい。 コロナの影響が人々の日常にも大きく広がり始めた頃。 とても静かな日曜日の午前中。 わたしの心身もとても静かで安らいでいる朝。 この2種間ほど後には、オリンピックの延期が決まり、東京都から外出の自粛が促されるようになる。 しっとりと鎮まった雨の住宅地を抜けて、セッション場所へ。 部

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その5

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その4

          ~ ロルフィング®️を通して ~ セッション1回目の翌朝は、心身がチャージされた感。 こんな夢をみた。 男の人が出てくる。 がたいの良いサーファーみたいな体格。 しっかりとしたボードを仰向けになっている私の胴体の左右に置き、囲ってくれる。 何とも言えない深い安らぎ、心地良さ…。 初のセッションが、 内側の深い部分でどう浸透しているかがわかる内容だった。 この夢での感覚は、本当に安らいでいた(笑) 2回目のセッション。 当日の朝は、もうだるくてだるくて、 出掛けたくな

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その4

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その3

          ~ ロルフィング®️を通して ~ とりあえず、 まずはなるべく先入観なしで受けてみようと思い、 どんなものかを調べまくることはしなかった。 当日の朝。 何だかやはり気が進まない、かったるかった。 ちょっと着いたのが早かったのか、呼び鈴の反応なし。 ロルファーはまだ来ていないらしく、 予約したのは今日だよな~。と少し心もとなくなる。 セッションルームへ。 プリンターの調子が良くないそうで、初回の質問表は英文の用紙に記入することになる。 ここで朝からの落ち着きなさがさらに

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その3

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その2

          ~ ロルフィング®️を通して ~ 初めてこの言葉を耳にしたとき、 何それ?と思った。 真空からふいにやってきた意味不明の物体のように。 あるボディワークの名だと分かり、 ヨガを教えている友達に聞いてみたが、 身体に詳しい知人から聞いたことはあるけれど、名だけでよくは知らないようだった。 ともかく、自分で調べてみることにした。 はっきりいうと当初、セッションを受けることに全く乗る気がしなかった。 この時期は、何か蓋をされているようで、 「恐怖」というものがじわ~と漂っていた

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その2

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その1

          ~ ロルフィング®️を通して ~ セッションを終えてから、3か月たった頃、 自分のこの変化の感じはことばにしたら良いのだろうか。 といつものように考える。 (感じていることを言語化するのはいつも私にとってはチャレンジみたいなところがある) 読んでいた本の一節に、あっこれだ。と。 それは「当事者」という表現。 そう、自分が自分の人生の「当事者」になった。 と感じている。 この体感は、どこかずっと抱えていた自分への疑問への溶解につながった。 Note. What is

          からだのこと。ひいては自分というもの。 その1