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Twitterをやめて人生変わりそうな話

ちょっと思うところがありまして、「習慣を変えてみる」というトライのためにTwitterから離れてみることにしました。


まだ1日だけですが、いかにTwitterが日常生活に馴染んでいたかを思い知ることになったので、メモがてら記録しておこうと思います。


言いたい欲を満たしてくれるTwitter

諸事情ありまして夫とは別居中なので、基本的には完全ワンオペの生活をしています。
(平日の夕飯は義母がおかずを分けてくれる、めちゃくちゃ助かる)

「家に雑談できる大人がいない」状態の場合、「ちょっと話したい欲」が基本的に満たされません。子どもの年齢にもよると思いますが、子どもたちが小学校3年生&1年生の我が家の場合、やはり「ちょっとした雑談を心地よくおこなう」のは難しい。

そんな私の「ちょっと誰か聞いて」は、全てTwitterに向いていました。

Twitterは誰にでも見られる場所での発信になるので、もちろん言葉を選んだり言わない選択をしたりもしますが、それでもTwitterにはかなり助けられていたと思います。

ちなみに、「家に雑談できる大人がいない」という状態は別居前からだったので、ここ数年(特に新型コロナ流行以降)、私のメンタルを支えてくれていたのは冗談ではなくTwitterかもしれないと思います。


発信大好き

Twitterから離れたら、noteの下書きが一瞬で増えました。「どんだけ発信が好きなんだ」と呆れて笑ったほどです。

何かを思いついたら書き留めずにはいられないし、それを出さずにはいられない。

「このインターネット時代に、発信していないことは存在していないのと同じ」と、いろんなところで見聞きして、実際にそうだと感じて、呼吸するように発信を続けてきましたが、ここまで染み付いているとは思いませんでした。

宣言した通り、Twitterからは今年いっぱい離れますが、別の場所で発信していくと思います。

たぶんnoteかな。


本をじっくり読める

これは意外な変化だったのですが、本をじっくり読めるような気がしました。

個人的な考察に過ぎませんが、Twitterはとにかく情報量が多く、そして情報が流れていくのが早いので、「いかに少ない時間で有益な多くの情報を取得するか」という頭の使い方をしているのだと思います。

最初の1行目だけでそのツイートを読むか読まないかを判断し、読み進めたとしても途中で最後まで読み進めるか否かを判断し(たった140字なのに)、さらにはそのツイート内容を自分の中に取り込むか否かを判断し、そこから何かを考えるか否かを判断します。何かを考えようと思ったら、その考えについてツイートして、完了。

とにかく、短時間に大量の判断と思考をしてしまうのがTwitterだと思いました。

Twitterが日常に入り込んでいると、Twitter方式の情報収集がデフォルトになってしまうようで、気がつけば「ゆっくり、じっくり、文章に向き合う」ということをしなくなっていたのだと思います。

Twitterをやめて、「文章にゆっくり向き合う」ことを思い出してからの読書は、とても心地の良いものでした。

久しぶりに小説やエッセイにも手を出したくなったので、週末は図書館に行こうかと思います。


人生が変わるかも

「習慣を変えたい」という勢いでTwitterから離れてみましたが、予想以上の変化と効果に驚いています。

今の私にとっては良い変化であり、プラスの効果。

今回はTwitterというSNSですが、なんでも「離れてみる」「やめてみる」というのは、かなりインパクトがありますよね。

軽い気持ちでのトライでしたが(そしてまだ1日目ですが)、「当たり前や習慣が変われば、人生も変わるのだろう」という直感を持つことができました。これはなかなか大きな収穫です。

とはいえTwitter大好きなので。笑
今年の大晦日までの、期間限定離脱の予定。

2022年の元旦に、自分がなにを感じてなにを考えているのかが楽しみです。



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