見出し画像

プランBと青菜に塩の母

今週は、登校日の拠点にさせてもらってる親族から「風邪をひいた」と連絡があった。

『ほんまごめん、でもちょっとしんどい』

何十年の長い付き合いだから分かるんだけど、多少無理してでも周りに合わせるキャラの彼が『ちょっとしんどい』と言う時は、『ハンパなくしんどい』(むしろ助けて欲しいくらいだけど)、くらいの意味合いで聞き取るのがちょうど良い。

ましてや緊急事態宣言のでているこのご時世、彼が言葉通りのしんどさだったとしても、今は控えるべきだろう。

さて、どうしたものか、プランBを考えてなかった自分に気がついて、ちょっと、いやだいぶ落ち込む。

“プランAがいつもうまく行くわけないんだから、Aがダメな時にどうしよう、って言うプランBはいつも考えておかなあかんねんで!”ってちょうど今朝、息子達に偉そーに説教した母は、今、完全に青菜と化している。

“塩”は最近いつも息子がらみのことだ。このままだともうすぐ母の塩漬けが完成してしまいそうなほど、

学校に行けていない、と言う状況も長引くに従って、社会の無情さを思い知らされる。

息子がこうなったばかりの頃の私は確実に、傲慢だった。『不登校?別に学校行けなくなって良いじゃん、それで大成功してる人だってたくさんいるんだし。学校に行けてない時期が多少あったって死なないじゃん。』『しんどかったらある程度家で休んで、だんだん回復したら、回復センターみたいなところ(正確には“適応教室”と言う名前なのだと最近知った)通って、また復学したら良いんだよね。』これが私の知ってる教科書通りのザ・不登校対応プランAだったし、それでうまく行くだろうとタカを括ってた。

何て表面しか見えてなかったんだろう。

確かに、学校行かなくなって、死にはしないんだけど、それでも長引くに従って、社会に追いついていない現状に、うっかりすると、彼の精神を蝕まれていきそうな危うさがある。自殺すると口走る時もある。

一歩間違えたら、この子は簡単に「引きこもり」になっていくのだろうなと感じる場面の多々ある中で、共働き夫妻の有給全てを足し算しても、それは重症調節障害児にとっては欠席日数の半分にも満たない。

いったい誰だ?女性は家庭にこもらず、外に出る時代だ、家に閉じこもらずその能力を活用する時代だ、子どもの教育は公に任せてお前ら仕事して税金納めとけとか言ったヤツ。(注 そこまでは言ってないけど)

これじゃ、安心して働けないじゃないか。

息子は、学校に行けない日は、いつも、完全に社会から隔絶されたかのような状態で日々を過ごし、不安を解消するためにちょっと始めたゲームは不登校仲間の集う場で、危うく依存になりかけ、自律神経はデコンディショニング(使わないことでさらに進む体調悪化)と、まるで密かに進む癌のように、今も静かに問題が芋づる式に成長している。

これを「怠け病」と呼ぶ人もいるらしい。でも一度でいいから、冷静に考えてみて欲しい。身体を起こす→脈拍が120代に上がる。→これは、起立性調節障害にとっては、常にランニングしてなさい、と言われているかのような体の状態だ。この状況でのリハビリを、小学校を卒業したての中学生が一人で取り組んでいる。そうせざるを得なくて。

こんなの、おかしくない?

ご高齢の方々は、足腰が弱くなったら、訪問リハビリとやらを受けられる。ちゃんとそばに励ましてくれて、適切な方法を教えてくれる。何なら、デイサービスとやらがお迎えに来てくれる。

一方で、小学校卒業したての子が、一人で取り組むべき?

これが我らが次世代に残したい社会なのか?

考えれば考えるほど、この国のシステムはおかしい。

この子の将来が完全に行き詰まったとして、一体誰がどう責任を取ると言うのか。

ー保護者だ。残念だけど、それが過酷な現実だ。

そもそも社会の公的不登校対応プランAは、『その場に自ら足を運べる』事を前提にしたものばかり。

だんだん、被害妄想に陥りそうになる。

それでも、何度社会を見渡しても「だからこんなに引きこもりが増えちゃったんじゃないの?」思わず叫びたくなるほど、『身体を動かすのがたまらなくしんどい』調節障害にとっては、正直お役に立たないプランばかり。

試しに、思いつく限りあげてみる。

プランA : 学校に行きながら本人が心の葛藤をスクールカウンセラーの先生に相談できるようにセッティングする

プランB: 学校の保健室に通って見ながらプランAを併用

プランC: “適応教室”に『通う』

プランD:  “家庭センター”に、カウンセラーとの面談に『行く』

プランE:  フリースクールに『行く』

知る限りのほぼ全てが、自宅の外に出て、活動できる「動ける身体があること」が大前提になっている。

学校では、本人の身体がしんどい時に休める場を作る『プランA’』のようなものを準備してくださったけど、調節障害の診断とともに、嵐の日の大木のようにどうっと倒れた息子にはそれでもまだ高すぎる。

自宅の外に出るのがたまらなくしんどい息子のような不登校は、『学校でも珍しいんです。すみません』と担任の先生は謝ってくださったけど、そう言う問題じゃないんだよな。

心の問題と受け止められてる何割かに、身体がついて来なくて「心のせい」「家庭環境のせい」と判断されている人もたくさんいるはずで。

同情しなくて良いから、金.....もとい

リハビリできる環境をくれ!!!

画像1

安達祐美ちゃんの画像を拾ったら、少しすっきりした。この子、こんなに可愛い泣き顔してたのね。まさかこんな昔の彼女に、歳を経て、癒される日が来るとは。

そうか、私は心のどこかで号泣したい心境だったのだ。ここのところずっと、息子の不登校問題が行き詰まる度に。

ちなみに

プランF:フリースクールの先生の家庭訪問コースを受ける、なんてのもあるのはある。

でもプランFは、その実績を問い合わせると、プランEへの利益誘導にもなっている。そりゃそれを実践している団体からしたら、どこかでお金を回収しなきゃ運営していけないんだろうけど、そこには何故か、まだ飛び込みにくい違和感がある。何より私学に籍を置きながら同時進行で通うにはあまりに高い。息子がまだ今の私学を辞めたくないと言う以上、我が家の大蔵大臣がそう簡単には頷いてはくれない。

こうやって書きながら、今私が行き詰まってるこの現状は、“身体の負担の少ない親族宅から登校リハビリする”と言う公的プランにないプランGを捻り出した挙句に、プランHが無かったことに気がついた局面だったと気がついた。

自己嫌悪の雲は少し晴れてスッキリはしたけど、そう言う問題ぢゃないんだよな。

プランH、プランH、おーいプランHさーん、どこにおでかけしてるのかなぁ〜出ておいで〜

お空から降ってこないかなぁ....





この場をご覧になってくださってありがとうございます。サポートして下さったお金は全て、不登校からのゲーム依存への進行予防や、回復のための社会支援に大切に使わせていただきます。(使途を決める際に、記事を読んでくださっている方々のご意向をお伺いするノートを作成します)