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経済学が苦手な私が経済の本(「公共善エコノミー」)を翻訳した訳

1980年代や90年代はじめ、私が高校生や大学生の頃は「企業戦士」という言葉がよく使われていました。私は「戦士」として日本の社会の歯車になることに嫌悪感を感じていたので、ドイツに留学し、大学生活を延長、そのまま住み着いてしまいました。

ドイツ・フライブルク大学の森林環境学部では、森林や環境マネージメントの勉強をしました。入学前の半年、これまで「企業戦士」への嫌悪感から避けていた経済学も大切だと思い、日本語の経済学の教科書や、ドイツ語でも、分厚い「国民経済学 (Volkswirtschaftslehre)」と「経営学 (Betriebswirtschaftslehre)」の本を揃え、読んで自学することを試みました。最初の数ページで挫折しました。利益や貨幣価値という実態のないものの数学的説明と解釈に、「冷たさ」や「心のなさ」を感じたからです。そんなものより、哲学書や文学を読む方が魅力的で、心を豊かにしてくれる、と思っていました。森林学では、自然科学だけでなく、森を国民経済的に評価したり、経営したりすることも学びます。森林経済学の授業も受けましたが、単位を取るための勉強しかしませんでした。

仕事を始めてからも、細かくコスト勘定したり、利益の最大化のために、いろいろ工面することは、嫌な気分になるので、できるだけやりませんでした。いろんなパートナーと共同作業してきましが、基本、1人のフリーランスという立場で、他のフリーランスや会社や団体との共同で、正規の社員を抱えることはしていないので、何とかなりました。

心のない経済の数字や手法に嫌悪感を感じている人たちは、結構いると思います。必要だから仕方なくやっている、という人たちもたくさんいると思います。私がそう思う根拠は、巷でよく言われる次の文句です。

「きれいごと(理念)だけでは飯は食えない」

これは「お金を稼ぐことは辛くて嫌なこと。環境や社会にも悪いかもしれないこと。でも、生きていくためには、会社を維持していくためには、嫌なことをしなければならない」という意味であると、私は解釈します。

私は理念で飯を食うこと、できるだけ楽しく、やってよかったと感じる仕事をする、仕事をつくる努力を、過去20年間してきました。まだまだ、理念や理想には届いていないですが、それなりに満足できる仕事、やり続けたい仕事もいくつかあります。

そんな私が『公共善エコノミー』という経済に関する本を翻訳しようと思ったのは、ヒューマニティに基礎を置いた、心ある、温かい経済のコンセプトだったからです。利益を得ること、資本を増殖すること自体が目的になっている現代の心がない資本主義的市場経済から、万人が真に豊かになるための、手段としての利益、手段としての資本活用を推奨する本来のエコノミーへ、システムのシフトチェンジをする方法を、丁寧に、簡潔に、わかりやすく、難しい数式や数字だらけの表やグラフは一切使わずに、哲学や心理学、政治学の観点からも、包括的に描かれていました。経済学(厳密にいうと、現代の主流である新古典派経済学)が苦手な私が初めて読み入った経済の本でした。

また、私がもう一つ苦手とする、ドイツ語圏の学問の世界で伝統的にある、複雑で、難解で、高貴な言い回しもなく、親しみを持って読めました。作者のクリスティアン・フェルバーは、私が好きな街、オーストリアのウィーン市に住む、文学、哲学、政治学、心理学を学んだ、同い年のフリーランサーです。ダンサーとしても活躍しています。経済学の専門家じゃない、多面的な専門性と活動に、私は好感を持ちました。私よりも遥かに「理念で飯を食っている」度合いが高い、過去10年の間で、世界中で3000以上の企業、その他、数々の自治体や研究・教育機関、著名人、市民が参加する大きな運動となった「公共善エコノミー」のコミュニティの成長に、刺激と栄養源を与え続けている人物です。

そのクリスティアン・フェルバーと一緒に、2023年1月10日、日本時間17時から、日本語版『公共善エコノミー』の出版記念のトークイベントを、日本とオーストリアとドイツをつないで、オンラインで行います。よかったら参加してください。私のように、経済学が嫌いな人、苦手な人も是非! 当日、参加できない人でも、申込者には、オンデマンで期間限定の録画視聴を提供します。案内はこちら。

https://common-good-economy.peatix.com/view


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