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ムラ、じゃなくて、ハラ

ムラづくりが流行っているそうな。
縄文ムラ、とか。

でも本当は、縄文はムラじゃなかったそうな。
ムラじゃなくて、「ハラ」
ムラって、弥生に入ってからなんだって。

確かに、学校でそう習ったよね~。

次女が地域学習で聴いてきたことがあって
今暮らすこの地域でも縄文人が生きていた形跡が出てるけど
なんと定住してはいなくて、うらうらと食べ物を採取して
動き回っていたのだとか。
定住はその後一戸の御所野。
それまでは遊牧していたのだそうだ。

そういうところからも、確かにムラって違うなと思った。


ずっと違和感があった。
ムラ=群れる

群れることが苦手だったり
わたしの中の他人とのズレが苦しくなるからってのもあるけれど。
子供の頃から「生きるのって辛い」と思いながら
友達関係を続けていた。

それに気づいたのは、当然大人になってから。
そもそも群れてる世界観が苦しいというか
群れている世界観とわたしとのズレが起きていたのだと
今ならわかる。

群れ、ムラは、上下関係、支配関係を生んだ。
優劣が人間につき、いずれ戦が生まれた。
ヒエラルキー。

「脱ヒエラルキー」

いつからかこれが望む世界となったわたしには
だからやっぱり群れること、ムラづくりは馴染まなかったんだな。

友人曰く、「ハラは原」だそうな。
その世界は
最小単位で集まり歩き
必要なときに集結して、終わったら解散していく。

これ、過去いつかのわたしが望んだ世界だったから
聴いてびっくりした。

自立した者同士の共同創造。


それが新しい世界づくりの人間の在り方、生き方だよね
って思ったことあった。
(確かノートにも書いたな。)

それでよかったんだな。
あの時のわたし、それでOKだったよ。

進んでいい道は、どこかでちゃんと
自分で気づいていたし、築いていた。
直感で。

そろそろさぁ、自分を信じていいってわかろうよ。

そんなことを知らされた
友人との温泉リトリートだった。

2024.4.19 norin

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