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処暑

まだまだ日中は30℃を超える暑さが続いておりますが
夜明けが遅くなり、日没も早まり
朝晩少しだけ涼しさを感じる時季になりました

まだ咲き始めだった我が家の百日紅は
1か月ですっかり満開になりました

蝉の鳴き声も いつのまにか
アブラゼミからかツクツクボウシに替わっています

夏アカネの腹の色が
オレンジ色から徐々に朱みを帯びてきました

夜になるとリ~ンリ~ンとコオロギの鳴き声が
草むらから涼やかに聞こえてきます

庭のあちこちに蝉が腹を向けて転がっており
その死骸を無数のアリたちが分解し
行列を作り冬に備えて巣に運んでゆきます

ジョロウグモが張り巡らした巣に
小さな羽虫がたくさん引っかかっています

その光景を毎年目の当たりにして
あらゆる命は死してなお
何らかの意味を持っているのだと痛感させられるのです

処暑の日は菩提寺の地蔵祭りと重なるので
わたしにとって、24節季の中でも最も印象の強いものです

夕方4時から本堂で近隣のお坊さんが先祖供養の御経を挙げ
境内には所狭しと多くの露店が並び
日付けが変わるまで、そのお経がこだまのように響き合います
本堂は線香の煙で白く霞んできます

わたしが小学生だった6年間の思い出です
お正月、嫁いだ叔母たちは揃って里帰りできないので
地蔵祭りの日は、先祖供養もかねて
父の弟妹と、その子供たちが一斉に集まる1年で1番賑やかな日でした

父は六人きょうだいの長男で、
いとこの数はわたしたち姉妹も入れて7人でした

公務員だった父にくらべ
商売をしていた叔父の方がずっと羽振りがよく
7人の子供たちに1000円札を一枚づつくれ
みなそれを握りしめ、
まだ独身だった叔母を先頭に地蔵祭りに出かけます

お面、わたあめ、ベビーカステラ、たこ焼き、金魚すくい、水風船と
おのおの自分たちの好きなものをいくつも買える夢のような夜でした
あの頃の1000円はきっと今の5000円位の価値がありました

でも
その日を境に、わたしは何となく胸が苦しくなるのです

それはお祭りが終わったあとに感じる寂しさだけではなく
もうすぐ新学期が始まる重さから来るものです

わたしは小学生の間
あまり学校が好きな子ではありませんでした
たまにずる休みすることもありました
でも、両親に愛されているという実感があったので
なんとか不登校にならず耐えられたのだと思います

その後、中学生になって
わたしのコンプレックスを
軽くしてくれる恩師と出会うのですが
この話ははまた別の記事にしたいので
今日は辞めておきます

4年ぶりに地蔵祭りに露店が並ぶと
一か月ほど前に総代さんから連絡が来ました

朝7時に地蔵祭りを知らせる空砲がもあがりました
お天気だけが少し心配です
朝から雨が降っているのです

そんなことはお構いなしに
だれが赤ちゃんととお留守番をするか?
娘は朝ご飯を食べながらから夫と相談しています

もう何年も二人だけの菩提寺の地蔵祭りに
今年は娘と浴衣姿の孫が加わります
孫にいくらお小遣いをあげようかと考えています

恐らくわたしと赤ちゃんが
留守番に決まっています
主人はおむつも替えられないし、ミルクの作り方も知りません

たとえそれが露店のかき氷目当てだったとしても
夫の両親も、わたしの両親も
孫とひ孫がお施餓鬼の供養に来てくれてることを
きっと喜んでいるはずです

処暑とはわたしにとってそういう特別な日なのです

#夏の思い出 #処暑#地蔵祭#露店#お施餓鬼供養

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