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探検小説夕焼けコンサートⅤ章

 
故郷は、松山からなお西に位置する海岸沿いの小さな町だ。
市町村合併でいくつの町が統合されて市になったが、
それでも人口は4万人で、過疎化、高齢化は止まらない。

まず新神戸から岡山まで新幹線で移動し、
そこから瀬戸大橋を渡る「特急しおかぜに」に乗り換え、
松山まで四時間余り。
そのあとJR予讃線は、
松山から海沿いを走る路線と、
山間を抜ける路線に分かれ、伊予大洲で合流する。
海沿いを走る方の列車に乗り、
右手に海を見ながら走ると、
手が届きそうなほど海に近い下灘駅に着く。

そこから、なだらかな斜面を十五分ほど歩いたところに実家はある。
自分の出身地を紹介するときに、
何もないところだという人はいるが、
こここそ、何の謙遜も誇張もなく、
海と山以外何もないとこだ。
それでも、最近は海に沈む夕日が一番きれいに見える駅とか、
日本一海に近い駅と言うJRの紹介で、
映画や、ドラマの撮影で使われたり、
いわゆる「撮鉄」が一度は訪れたい駅になっているらしく、
年に一度夏の終わりに、
プラットホームで「夕焼けコンサート」が開かれるようになっていた。

母から聞いていたがが、わたしはまだ一度も参加したことがない。
その日だけはこの駅が大勢の人で賑わうそうだ。
この三年は映像を流す公演のみだったようだ。
今年は開かれるとネットで知っていた。

高校、大学、会計事務所と、この駅から松山に通った。
何度、この海と夕日を走る車両から見ただろう。
奇麗だなあとは思ったが、
いつもあるとそれはただ普通の風景でしかなかった。
それを、本当に日本一かもしれないと感じたのは
四十歳を過ぎてからだ。
母が助けてほしいと言った時だけ、
代わって父の病院に通ったが、
がんセンターからの帰り道、
海に沈んでゆく夕日が胸にしみ、何度も涙ぐんだ。

三年前に父が死んでからも、
母はこの町で一人で暮らしいている。
年金と一反あまりの畑を耕して生計を立てている。
水田はJAにお願いして、人に貸している。
家の跡を継ぐ弟はいるが、四国中央市の製紙会社で働いでおり、
まだ定年まで二十年以上ある。
七十八歳の母がそれまで元気でいるはずもない。
この辺も空き家ばかりになるのだろう。

朝ゆっくり家を出たので、午後四時過ぎに実家に着いた。
浜辺では、夏を惜しむようにまだたくさんの人が戯れていた。
仏壇に線香を上げたあと、裏山の墓に参り、
そのあとすることもなくなり、
庭の雑草をいくつか抜いてみた。
真っ赤なテッセンと百日紅が咲いていた。
つくつくほうしの鳴き声がすぐ近くでする。
鳴き声が止んだと思ったら、
百日紅の木から飛び立った蝉が、
木から軒へと幾重にも張り巡らされたジョロウグモの巣に
引っかかってしまった。
もがけば、もがくほど、羽にクモの糸が絡まってゆく。
苦し気に羽をばたつかせた。

あっ!と小さな声をあげて立ち上がると、
母が背中から以外に強い口調で言った。
「いらん手を出さんと放っときや。
どうせどちらも短い命なんじゃけん。
一方に贔屓したらいかん。なるようになるんが自然の摂理なんじゃがね!」
わたしは妙に腑に落ち、家の中に戻った。
「それより亰ちゃん何かあったん?
急に何日も泊まるなんて、お母さんたまげるがね」
麦茶を手渡しながら、母が心配そうな顔で尋ねてきた。
「正雄さんが出張だって言ったよね。
それにもうすぐお父さんの命日だし。
お母さんの顔もたまにはゆっくり見たいしね。
それより理由がないと帰ったらいかんのかね」
突き放すような言い方になった。

「まあ、ええわね。そういうことにしとこうかね」
母は少し不服そうだった。
「一番大事なこと忘れてとったわ。
夕焼けコンサートを一回見てみたくてね。
ほら、前にかあさんんが言ってたやろ」
夫とのことを抱えきれず逃げてきたのに
そのことはまだ言えず、その場を繕った。

「ああ、そうやったね。今年はやるって言うとったわ。若い子らが」
母は、ようやく納得したように、笑った。
「あれ、あんなに薦めといて忘れとったんで。
ボケよんんじゃない?そ
れより自転車をちょっと貸してね。海に浸かってみたいけん」
「ええ。晩御飯はあるもんでよかろ?」
「白いご飯とかあさんの漬物があったらええよ。後片付けはやるけんね」
ゴムサンダルを靴箱の奥から見つけ出して家を出た。

まだ暑さの残る砂の上を歩き、
海に足を漬けると気持ちがいい。
そのあと砂浜に腰を降ろす。
太陽が随分と海に傾き、
海と空の間に沸き上がった雲が茜色に染まっている。
スマホを取り出して夕日の写真を撮り、夫のラインに送った。

「真美さんのことは良かったですね。
わたしは三日の夕方そちらに帰ろうと思います。
新幹線に乗ったら連絡します。
毎日連絡が欲しいと言ったけど、もういりません。
ラインでは本当の気持ちが伝わらない気がします。
帰ったら、じっくり話し合いましょう。
懐かしい双海の夕日を送ります。」

空は茜色から、紫色に代わり、やがて紺になった。
帰ろうと立ち上がると
驚いたことに無人の小さな駅に何人もの人がいるではないか。
カメラを構えたり、ベンチでぼんやりしたり、
恋人同士が手を繋いだりとスタイルはまちまちだが、
皆同じ方向を見つめ夕日の余韻に浸っている。

次の日からは、母の手伝いをした。
朝いちばんに、イチジクと、ナスと、オクラを収穫し、
パックに詰めて、名前と値段の書かれたシールを貼る。
それを軽トラで青空市場に出荷する。
朝ご飯のあとは、畑の草取りと畝づくりを手伝う。
汗が頭から次々と流れた。
それが意外と心地よかった。
午後からは父の遺品の片付けをし、
青空市場に売れ残った物を引き取りに行き、
夕暮れになると駅のベンチに座って海を眺めた。

神戸のマンションを出てまだ数日なのだが、
長い時間が経ったようなきがした。
がんじがらめに自分を縛っていた鎖が解けて行くように感じた。

離婚しなかったとしても、
いずれどちらかが一人になる。
幼馴染の和ちゃんは、3年も前にご主人を亡くしている。
父と同じ病院に入院していたから知ったことだ。
帰ったら別れることを前提に話し合おうと思った。
実は、もっと前から心は決まっていたのかもしれない。

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