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短編小説夕焼けコンサート第Ⅱ

春になれば、結婚して二十二年になる。

見合いを含め四度会っただけで結婚した。
当時夫はまだ26歳だったが、
彼の両親が都会の寮で暮らす息子に、
一日も早く身を固め、跡継ぎ欲しいと願っていたようだ。

彼は同じ郡内の諸島部の出身だった。
そういう狭い地域では、
親の進める見合い結婚もまだ多くあったのだ。
わたしは彼より一つ下の25歳だった。

見合いをするとき、わたしはまだ前の人が好きだった。
が。その人は最終的に、その人は家族を選んだ。
同じ会社の上司で、最後には死んでやるとか、
一緒に死んでほしいとか、
できもしないことをモーテルの丸いベッドの上で
言いつのって終わりにした。
疲れてしまい、仕事まで辞めてしまった。
どこでもいいから知らな場所で、
心の傷を癒したかっただけなのかもしれない。

夫は穏やかで、無口な人だった。
それまでに女性と付き合ったこともなかったようだ。
まあ好きな女性いれば、
見合結婚することもなかっただろう。
それに一番好きな歌が中西保志の『最後の雨』で
一番好きな映画がロバートデニーロの『恋に落ちて』だと知り
以外にロマンティストなんだと安心した。

何より、父親が会社勤めをしながら田を耕す兼業農家で、
自分と生活感が近寄っていた。
神戸の製鉄会社に勤めていて中央区の本部勤めだったので、
それまでの閉塞感は薄れた。

一年後には祝福されて裕太が産まれた。
島の義父母は跡取りが出来たと大層喜んだ。
わたしは島に帰るつもりはなかったので、
その言葉に少し戸惑いがあった。
が、多くの祝福の中うまれることが、
子供にとっても、母親にとっても、どんなに幸せなことか実感した。

子育ては、大変なことも多かったが、
トータルすると喜びの方が大きいかったと思う。
選択肢の多い都会で中学校の受験の失敗。
その後の反抗期。
そのときどきに悩みはしたが、
夫と協力して乗り切り、去年の春に東京の大学に入学した。
22年間、平凡だが間違いなくし暮らしてきたつもりだった。

豊かすぎても、貧しすぎても幸せにはなれない。
欲張りでも、欲がなさ過ぎてもいけない。
これが、結婚する時に母が私にくれた言葉だ。
私もそうだと思い肝に銘じていた。

生活は中庸なものだった。
例えば、子供が二人いたら経済的に苦しいが、
一人なら本人の望む教育を受けさせてやれる。
駅の近くは無理だが、自転車で十五分くらいの場所なら、
2LDKのマンションがなんとか買える。
ハワイやオーストラリア旅行には縁がないが、
たまに二泊三日の温泉旅行ならできる。
高級車は維持できないが、
ファミリータイプの普通車ならなんとかなる。
リストラに合わなければ、
退職金と年金で細々とだが食べて行ける。
こんな未来を描いていた。

だから、同じことを毎日、毎日変わりなく黙々と続けてきた。
それが幸せなのだというものだと信じ、
たまに空しくなり感じることもあったが、
シンクの掃除や、衣類の整理などを初めて忘れるようにしてきた。
しかし、平凡を維持し
周りに流されないように生活を守るにも
並々ならぬ忍耐がいることを
夫がどれだけ理解していてくれたかは疑問だ。

自分だって、溢れる情報に大いに揺れたし、
たまに他の異性にときめいたこともあった。
裕太の学校の先生やPTA役員のお父さんたちの中にも素敵な男性はいた。
食事誘われたことだってある。
それなのに夫は、
「お前は物事を深く考えず、欲がなくて幸せなやつだな」
いつも、安心したように笑っていた。
そうではなく、夫に引け目があったので、
そういうふうに見えるように絶えず努力してきたのだ。

周りにいる同年代の人たちは物に拘る。
豪華で、派手で、お金の掛かった物が好物だ。
同じ専業主婦からも
「よくもまあ、そう家ばかりに居てストレスが溜まらないものね」
と、からかわれたことがあった。
「京子さんて主婦の鑑よね」
と、嫌みたっぷりに言われたこともあった。

正直にいうとわたしにだってストレスはいっぱいあった。
そういう時は泣ける映画を見た。
涙を流すと、一緒に自分の中にある黒いものも一緒に流れる気がした。
それもまだイライラが止まらないときは、
イヤホンを取り出し、昔はやったダンス音楽をかけて踊ってみた。
それは踊りなんてものじゃなく、
ただ腰や腕を滅茶苦茶に動かしているだけだった。
足を動かすと下の階から苦情が来る恐れが足ったので、
腰より上だけ動かした。
それでもダメなときは電車に乗って須磨の河岸まで出かけた。
この海は故郷につながっていると思うと少し気が晴れた。

裕太が高校生になったころ、
小学校で一緒に役員をしたママ友から
もう子供に手もかからなくなったし、カラオケにでも行かないとか、
日帰り旅行くらいならいいじゃないと誘われることはあったが、
何やかやと理由を付けて3度に2度は断っていた。

そうやって遊んでも、数時間は楽しくても、
そのあとひどく疲れるのだ。
他人と合わせるのは肩が凝る。
わたしには拷問に近かった。

そんな風に遊びまわっていた彼女らは、
直ぐ遊びにも飽き、今度は学費のためにとパートに出た。
しかし、よくよく聞けば、それは口実で、
何らかの刺激を求めてのことらしい。
家に居るのは、もううんざりなのよと口をそろえて言った。
家事には、全く夢がないそうだ。

わたしは家に居るのが、そんなに嫌いじゃなかった。
家事を手抜きしてまでやりたい仕事は何も浮かばなかった。
田舎育ちで都会で働くのはそれだけで気後れした。
それなら、お菓子を作ってプレゼントしたり、
小さな家だが隅々まで磨いたり、
ベランダに季節の花を咲かせたいする方が楽しいかった。

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