「猫を棄てる」感想文

もし、村上春樹が私よりずっと若い作家だったのなら、多分愛読者になってはいなかっただろう。同年代(学年は春樹氏は早生まれなので1年上)ということで、どのような内容、文章で書かれていても、きっと相通じるものはあるだろうと、思ってきた。年齢だけが同じでも、育った地域、学んだ内容、環境は悉く異なる処が、又魅力でもあった。そんな村上春樹としては久しぶりのエッセイを手にした。ある夏の日に、父と一緒に自転車に乗って孕んだ雌猫を棄てにいったところから、父との関係、父の物語が語られる。

導入は、如何にも村上春樹らしさ満載だ。

自分が生まれたのだから、父は居た訳で、勿論母もだが、但し、父の歴史を語ることが出来る息子がどれだけいるだろうか?

その辺の調査、聴き正しは或る意味では貴重な年代を書いている。

大正6年生まれの父は出自はお寺の6人男子ばかりの次男で、いろいろと経緯はあったが、寺は継がずに高校の国語教師となった。

福知山の連隊本部に所属して、其処での、日常とは丸で掛け離れた戦地そのものの戦いが書かれている。

俳句をも嗜み、幾つか句が紹介されているが、なかなか心に染み入る句だ。「一茶忌やかなしき句をばひろひ読む」一茶は子供を歌ったり、それを眺める一茶の句は小さな情景に微笑ましさを歌った句が多いが、千秋氏(父の名前)自分の心情に沿う哀しみが滲み出ている句を探したのだろう。

「島渡るあああの先に故国(くに)がある」この句も戦地で詠んだのだろうか。

掌編で、他のエッセイと一緒の一冊にまとめるには馴染まない。とあとがきで書いているが、そうかもしれない。

私には大正11年生まれの父がいたが、新潟県内の連隊に居た話は聞いたことがあるが、詳細は知らない。でも、私は私の父との歴史は、例え、上等な生き方でなくても、書けるものだ。猫を棄てにいったこともある。正確に言うと「棄てた」のではなく、里親さがしのイベントに猫とその猫が産んだばかりの子猫を連れて行ったことがあった。

もっとエピソードを入れて、中身を膨らませるという方法もあると思ったが、でも、やはり掌編で纏めているところが良いと思う。

同年代、団塊の世代で一緒だけど、春樹氏の次回の作品が、楽しみな読者である。

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