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生きた軌跡をレコードしていく

 昨日になるが、今年もおかげさまで無事に誕生日を迎えた。

「おめでとう」と言われると、やはり嬉しいものだ。こういったものは、自分自身よりも他者からの言葉で徐々に実感が湧いてきたりする。

もうそれなりにいい歳なので、誕生日を重ねるごとのレア感覚が薄れていったり、人生の残り時間の方に気持ちを傾けてしまうことも正直否めないが、年齢を言い訳にして斜に構えたステレオタイプな姿勢で臨むよりも、喜びごとはちゃんと喜ぼうと思いたい。

実際歳を取れば取るほど、誕生日に SNS にわざわざ「今日は誕生日です」などと書き込みづらくなるものだ。この note ですらそうだ。性格にもよるだろうが、何となくはしゃいでいる気にもなる。大人気ないとか、野暮いかな、と思ったりもする。

でも逆に考えると、ただただ存在するだけで輝いていた幼少時代とはフェーズも違い、「年輪を刻む」ということが様々な意味をもって精神昇華される時期に差し掛かっているという事実をぞんざいにしないためにも、あえて「誕生日です」と投げかけて自他ともに認識のうえ釣り合いをとっていくことも大切なのかなと思い、結局自覚的に投稿した。

生きた軌跡をレコード(記録)するような感覚で。

こういうときに SNS は、なんだかんだで最後の最後はハードルが低く、気軽に投稿できるから救われたりする。

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 誕生日に対して無頓着になるということは、同時にあらゆる記念日に対しても無頓着になるということでもある。まずは自分の一番大切な日に対して能動的に気持ちをエモーショナルに持っていくことで見える何かもあるのかもな、と思った。

自分が世界を創っていくと同時に、他者との関わりが自分の存在意義を拡げることもある。

今日はこんなところで。

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