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記憶の記録

 僕は常日頃、自分の感情やその時思ったことを都度 iPhone や PC のEvernote を開いては残すようにしている。もともと紙のノートを持ち歩き、何か思う事あればすぐに公園や喫茶店などに飛び込んで書きじゃくっていたのが、今はデジタルガジェットに移行した形だ。

なんだかんだ日記の頃から通算して、かれこれ20年以上になる。

誰のためでもなく、完全に「自分のためだけ」に書いている。

ポジ・ネガ関わらずただひたすら「今この瞬間」の思いを書き残すことで、感情も安定し、心を元に戻す事ができるので、今では"日記" ならぬ "秒記" などと称しつつ、自分にとって大切な習慣になっている。

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 稀に、感情を「どの程度まで残すか」で迷う時がある。

今朝、起床時に気持ちがまったく浮かなった。不安と倦怠感、恐怖で頭を覆われ、それらが折り重なり、原因不明の苛立ちとともに朝を迎えた。

ひとしきり脳内での戦いを終えたあと、この浮かない気持ちをいつもどおり思い切りネガティブとして残そうと、勢いよく起床し顔を洗いにいく。すると不思議な事に、戻った頃には浮かない気分が晴れ、少なからず前向きな気持ちになっていたりする。

「泣いたカラスがもう笑った」ような感覚だ。

PC の前に座り、わざわざ過去のネガティブな記憶を再ダウンロードしながら嫌な気分に浸り直すのも、何となく気がひける。でも、その時に思ったことは、できるだけ過不足なく掴んでおきたい。

そういった時どうするかというと、「今は前向きな気持ちだ」という思いをまずは丁寧に楔のように残したうえで、少し前の気分を思い出していく。すると、「今」という前提との対比が生まれたことにより、当時よりも俯瞰度が上がっていたりする。

結果、気分を損ねないまま、冷静に解像度深く潜っていけるので、現状はそのやり方を採用している。

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 感情は本当に気まぐれで、掴み続ける事が難しい。

少しでも気を抜くと霧のように消えてしまい、自分がついさっきまで何を思っていたかを忘れてしまう。

だからこそ、僕は「掴み続ける」ことに惹かれる。

 今 note に綴っていることは、だいたいが "秒記" に書かれたものたちの体裁を整えたものだ。

記憶の記録を残して行くことは、今の自分を推進するうえで、おかげさまで非常に重要な習慣であり、心を中庸に保つための指標となっている。

今日はこんなところで。

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