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コミュニティと派閥

 「〜派」のようなものに属したくないけど、どうしても好きなものに凝り出したり、特定の誰かたちと一緒に居続けると、自分がいつの間にか何かの「派閥」めいた空間に身を置いているような構図になる。

決して派閥というものが悪いわけではなく、何かを行うにおいて「身の置き場をはっきりさせる」ことが、よりスタンスを強靭に確立させたりするが、反面、その思考が研ぎ澄まされるととたんに排他的感情に支配され、他人の介入をこばむようになる危険性もある。

一方で「コミュニティ」という言葉もある。こちらはどちらかというと “同じ趣味の活動をともに行う共同体” という意味合いと思っており、派閥は “思想の共有場所” みたいなものだと思っている。

コミュニティが活動を行うにおいて有益な情報をたくさん得ることができることも分かっているし、同士がたくさんいることはとても心強いが、舵の切り方や自分の向き合い方次第では、いつの間にか「派閥」に属していた…ということも多いので、そのあたりは自分がどのような思考状態で物事に臨むかを、常にテコ入れする必要があると思っている。


 自分を信じると同時に、自分を徹底的に疑う。迷った時は、「一人というコミュニティ」に立ち戻る。

一人だけのコミュニティに属し、その中でやりたいことを改めて模索する。常にリセットを恐れず、現状甘えたくなるような場所をあえて切り離す。そうすることが、「派閥」に身を置かず、フラットを持続するための数少ない最適な手段なのかもしれない。

非言語的空間の世界は、常に境目なく有機的に変わるもの。「これだ!」という明確な指針は、案外脆くて構わないし、その方が面白い。

ぐにゃぐにゃしてるけど突然鋭利な個体になるような物質を頭の中で育てつつ、思考のマクロやミクロの往来を繰り返しながら、その都度手応えを掴んでいけたら。

今日はこんなところで。

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