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note 500日連続投稿達成

 嬉しい通知が届いた。

いつも記事を上げた後に出てくる通知だけど、今回のはパワーがあった。

noteの連続投稿が昨日の分で500日に達したのだ。もはや最近は数を意識するでもなく気長に呼吸をするように続けていたものでも、こうして具体的な数字でメモリアルとして示されると、人間だもの、やっぱり興奮を覚えるし嬉しい。


 過去記事を見返すと、内容とともに心理的変遷も良く分かる。開始当初は他 SNS の殺伐した空間、特にTwitterなど、悪意の大喜利がはびこるような雰囲気に辟易としており、ちょうどコロナの時期も重なったことで、「何か違うことを始めたい」と思い立ち、逃げ込むように note のある種隔離された空間に逃げ込んだ記憶。

静かにコーヒーを飲みながら、図書館で自習するような感覚。たどたどしくも解放的な気持ちで綴り始めたのを覚えている。他と違う特有の空気感に安堵を覚えつつ、特に最初の頃は、親愛なる人 = 思春期を迎えた娘がいつか年端のいった頃にでも偶然見つけて覗きに来てくれたら…と、自身の経験を通してライフハック的な Tips を置いていくような投稿を続けていたけど、そのうちどんどんそんなことすら意識しなくなり、内容はよりパーソナルかつ内省的な心象日記に変化していった。

コンセプトこそ都度変遷してはいるが、結果的に読み返すと不思議と一貫しているのは、きっとどれも自分の生々しい心の動きが正直に出ており、そうした精神の備忘録の集積が、結果的に長い期間をかけ彫刻刀で掘るように、偉そうにいうと "生き様" めいたものを形成しているからなんだろう。

 極めて範囲の小さい、私的な記録の数々。誰の役に立つでもない単なる日記に過ぎないのだが、やはりミニブログに端的に綴るのと長文でまとめておくことでは個人的に充足度の質量が全然違う。

不思議なものだが精神が非常に安定するのだ。突発的に怒るだったり、フルスロットルでテンションが上がるなど、そうした感情の乱高下はなくなり、自分で言うのもなんだが、実生活が本当に穏やかになったなと思っている。家族仲も極めて良好だ。

誰の反響もいらないといえば嘘になるし、もちろん反響があるならあるで嬉しいが、そうしたものに貪欲なフェーズはとうに過ぎており、淡々と自分自身が今日を生きるために考えをまとめるツールとして note がとても重宝している。

これからも、仕事や作業は一切抜いた、時には地続きのただただパーソナルな記事をマイペースで書き続けるし、引き続き他 SNS にシェアなどしない「いつでも覗きに来れる裏アカウント」として開放していく。性に合っていることを続けるのは楽しいなと本当に思う。

今日はこんなところで。

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