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言葉と人格

 ネガティブなことばかりを発信し続ける人がいる。

批判がたとえ正論だったとしても、口汚い罵りだったり誹謗中傷めいた口調で常に何かに向かって責め立てるタイプの人。

最初こそセンセーショナルで、それなりにもてはやされたり気にかけられたりもするが、自分が見てきた傾向上、そういった人たちはやはりいつからか周りに引かれ、離れられていく。

愚痴や不満を吐き出すのはカタルシスでもあり、短期的には気持ちいい。しかし、それが常態化してしまうと、一つのことに対する不満だけでは飽き足らず、常に不満 "だけ" を探す旅が始まるのだ。

不満を探す旅は、いざ始まるとカラーバス効果も手伝い次々と見つかっていく。どんどん言葉遣いもキツく攻撃性を増していく。

カラーバス効果:
ある一つのことを意識することで、それに関する情報が無意識に自分の手元にたくさん集まるようになる現象

 怖いところは、言葉というものはそのまま人格を映すもの。たとえ人に向けた言葉だとしても、自分が一番その言葉を聴いているし眺めている以上、愚痴や悪口なども全て自分に向けた銃口でもあったりするのだ。「被害者」としての意識が自分が紡いだ言葉によってどんどん築かれていく一方で、ある種の「加害者」としての意識もサイレントキラーのごとく築かれていくのだ。

結果、自己の体内でリサイクルにリサイクルを重ねながら生成されたネガティブパワーは凄まじく、被害者であるつもりの言葉の端々に尊大さや居丈高さが垣間見え、いくら批判の内容が正しくとも、むしろその言葉遣いだったり態度の方が悪目立ちをすることで、ただの非難や喧嘩腰の印象に終始するのがもったいないなと感じる。

そういった人たちは、なんとなく「話せばわかる」という歩み寄りの機会を放棄してしまっている印象上、僕自身は近づきたくないと感じてしまう。文章だけで構成される SNS では特に。

 僕自身、決してポジティブ盲信論者ではない。しかし、「ふだん発する言葉がその人の人格を築く」という事実はもっと深慮した方が良いのではないかと常々思っている。

今日はこんなところで。

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